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68話 仕切り直し

ダメ社員の見本のようだった僕も、会社の仕事にすっかり慣れ、ようやく担当の商品を与えられるまでになった。同じ商品開発の仕事についた同期の社員達にかなりの差を付けられてしまったけれど、自分の企画した玩具が実際に全国販売される商品として販売店に並ぶようになり、いよいよ給料をもらっている分の仕事をしているという実感も湧いて来ると、ポンコツ扱いをされて来た日々から脱出して、少しだけ自分に自信を取り戻せそうな気がしていた。

ある程度、雑用係のようなポジションからも卒業したのを境に、僕はヘイコラ頭を下げるだけの下積み環境からようやく開放され、職場でも打ち解け、仕事に関係のない雑談話で上司や先輩達とも笑い合えるくらいまでになっていた。
数人の先輩達が以前の雑談を覚えていてくれて、「おい広瀬、ハーモニカの方はどうしたよ?まだやってんのか?」なんて聞いて来てくれる。僕は嬉しくなり「やってますよ、たまにですけど」なんて気軽に返すものの、面倒な先輩に目を付けられ呼び出された後なので、家でひとり吹くだけで演奏活動などはしていないとの「趣味の範囲止まり」アピールを、わざわざ付け加えるように話す。
もちろん少し前に原宿の路上で演奏している弾き語りのデュオに声を掛け、会話が上手く行かず逃げ帰って来たなんて話は、誰にも言ってはいなかった。

週末の仕事終わり。当時は「花金(はなきん=花の金曜日)」だの「飲みニケーション」だのといい、職場のメンバーでの呑み会が多いのが当たり前で、その2次会はもれなくカラオケという流れだった。
僕の部署は、上司が顔をきかせられるカラオケスナックに寄るのがお決まりだった。マイボトルを入れた上司が、マイク片手に酔いしれるように歌う「ムード歌謡」を、大きな手拍子をしながら、仕方無しに聴かされ続けたものだ。
僕はというと歌は大の苦手だったのだけれど、一曲でも多く歌いたい社員が多かったおかげで、ただ参加をしていればそれで済むため、退屈ではあれ付き合いは楽なものだった。

けれどある段階から、カラオケの席で僕に上司からの司令が下るようになる。
「よし、広瀬!そろそろやれ!ほら!」とばかりに指名され、上司や先輩の歌の間奏にハーモニカでのアドリブ演奏を吹かされるようになったのだ。
曲はニューミュージックや懐メロなどで、どの曲も間奏やエンディングが長く、その部分は暇になるため全員がしゃべり出したりして、前から手持ちぶさたな時間ではあった。
そんな場面で僕がポケットから小さなハーモニカをさっと取り出し、ポワ~ンとやってみせる。ブルージーな音色のインパクトやサプライズ感から確実に場は盛り上がり、スナックで飲んでいる他のカラオケ客までが拍手喝采だった。
まぁハーモニカの演奏が曲に合っているかどうかは微妙だけれど、テンホールズのベンドの音はたったひとつの音でもその魅力が出せるので、それだけで十分だった。相手が酔っているのだからなおさらだ。
もちろん下っ端らしく目立ち過ぎぬよう、出しゃばりに見えぬよう、マイクからハーモニカを離して音を小さ目に吹くようにしていた。さらに、白々しくも歌の後には吹かせてもらった事のお礼なども、口にするようにもしていた。
スナックのママさんから「面白い若い人を連れて来てくれて嬉しいわ!」と喜ばれた上司も上機嫌だったし、スナックの知らない客から僕のハーモニカの方にリクエストをもらえる事もあった。その頃、僕のよく使う何本かのハーモニカには、しっかりとスナックのウイスキーやタバコの匂いまで染み付いてしまっていたほどだ。

ある程度、カラオケでの僕のハーモニカの話題が会社で知れるようになると、定期行事になっていた部署合同のバス旅行の移動中などでも出番が回って来るようになる。
「では、新入りからご機嫌を伺いたいと思います!おい広瀬、吹け吹け!やれやれ!」とぞんざいに振られ、誰も聞いていないであろうどんちゃん騒ぎの中、余興として伴奏なしのソロ演奏をやらされたりもした。
当然、そんな余興を誰一人聴いてもおらず、年配の社員に「いいねぇ~ハーモニカ!お前、見どころあるぞ!」などと、雑に茶化されるだけだった。

部署が商品開発だったので、お得意先との接待などはするよりされる側ではあったものの、上司に連れられて行く接待の席で「おい、新人、まずはお前が特技のハーモニカで盛り上げろよ」と、宴会の特攻隊にもさせられたりもした。
僕はそれぞれの機会に(よし!ブルースのサウンドで、一目置かせてやるぞ!)と毎回意気込んではみせるものの「どうです!おもしろい新人が入って来たでしょう!」と場が盛り上がるだけで、音楽として聴いてもらえるという事は一度もなかった。
どんなにブルージーな音を出そうが、見事なアドリブ演奏をしようが、良くも悪くもハーモニカがかしこまらない程度の「かくし芸」くらいにしか見えないからだろう。珍しい余興、それが「音楽」ではなくただの「お遊びの範囲」なのだと、毎回念を押されているような繰り返しだった。

けれど、そんな反応でも、もう専門学校の頃のようにいちいちそれで傷ついたり、固まってしまうといったような事にまではならなかった。
学生の頃とは違う会社という縦社会で、あまりにもポンコツと叩かれ続ける日々にもすっかり慣れてしまったからだ。「誰にでもひとつくらいは取り柄があるもんだよな」といった低めの評価をされても、(ちぇっ!ハーモニカってさ、誰にでも吹けるように見えて、意外と難しいんだぞ!)と、心の中でボヤくくらいのもので、それなりに気が済むようになっていた。

それに、誰もが個性を求められない中でしばらく過ごす内、どんな状況であれ、ちょっとした機会に人前でハーモニカを吹かせてもらえるというのは、素直に嬉しく感じてもいた。実際にハーモニカが会話のきっかけにもなっていたし、職場で多少は他の新入社員より親しくしてもらえる流れにもなっていた。初めてのボーナスをトイレで無くし、その悲しさをハーモニカで吹く、そんな笑えるほどドジな新入社員として。
そんな事から、僕は時間を見つけては、忘れない程度に上司や先輩の持ち曲の予習をしたり、演奏Keyの確認や楽器のコンディションを整えておいたりするようになっていた。

ある週末の夜、寮の自分の部屋でぼんやりとテレビ番組を観ていた時の事だった。
何かの情報番組の特集コーナーで「東京の路上で演奏する弾き語りの人々が集まる場所」が紹介されたのだ。その映像の中で、フォークやオリジナルに混じって、僕の耳に馴染みのあるようなブルース・テイストの曲が流れて来る。
僕は反射的に布バックの中から数本のテンホールズハーモニカを取り出すと、テレビで流れている演奏にハーモニカの音を合わせ、その曲の演奏Keyを絞り込む。曲はすぐに終わり慌ただしく場面が変わってしまうものの、今流れていたそれを思い出し、頭の中でセッションしている光景を思い浮かべながら、空で適当にハーモニカのアドリブ演奏を吹いてみる。

夜中だったので、両隣の同僚達には聴こえない範囲の音量にする為に、ハーモニカの音が出る穴の方に手を押し当ててしっかりと塞ぎ、もう片手は片耳を塞ぐ。すると不思議と口から頭の内側を通って自分の耳にだけは音が聴こえて来る。それが僕の深夜の寮での練習方法だった。
今さっきの演奏に対して自分のハーモニカの音はスラスラと合い、セッション演奏の勘は鈍ってはいない事を確認する。
僕は(よしよし、吹ける吹ける)と自分のアドリブの即興の演奏力に満足し、ほくそ笑みながらまたテレビに視線を戻した。

番組のコーナーは続き、映像では次々に路上演奏をする弾き語りの人達が紹介され、インタビューでは彼らからライブハウスなどとは違う演奏現場の価値や、自分の音楽への想いなどが、次々に語られて行った。
僕はその話を聞きながらバッグの中のテンホールズ達を眺める内、ふと、かつて自分から弾き語りの2人に声を掛けた時の手痛い失敗を、ぼんやりと思い出した。
もうだいぶ時間が経っていたせいか、すっかり気分も変わっていて、不思議とさほど嫌な気持ちは残っていなかった。もともと相手は自分を見下していたという訳ではなかったので、考えてみれば自分の方が大人気なかったという、気恥ずかしさすらあった。
それどころか、番組で「今、弾き語りが熱い!」といくつかの路上演奏スポットがまとめて紹介されて行くのを見ている内、気がつけば寮からその場所へのアクセスを、ぼんやりと考え始めているではないか。なんと、どの段階からか(あの場所でダメでも、もっと自分に向いた別の場所があるはずだよな)と、再挑戦にまで思いを巡らせていたのだ。

ちょうど仕事も暇な時期に入った週末で、翌日は休日の売り場応援もなく、洗濯くらいしか予定は無かった。
自分にかつての失敗のダメージが無いのを実感した僕に、改めて弾き語りの人とのセッションに挑戦してみたいという想いが強烈に湧き上がって来る。ウズウズして立ち上がり、狭い部屋を歩き回るほど落ち着かず、抑えられない衝動を持てあまし始める。
そのままどんどん気分は高揚し続け、終いには(やっぱりスナックやバス旅行で余興ついでにハーモニカを吹かさせれて、それで満足してるようじゃダメだ!)という心の声が、力強く自分の背中を押し、かつての渋谷駅前でエレクトリックハーモニカでブルースセッションを出来た日々の熱い感覚が、身体の内側から広がって溢れ出しそうになってしまった。

その夜、興奮冷めやらぬ僕の部屋には、久しぶりに気合の入ったテンホールズのサウンドが響き渡り、他の寮生からの苦情が入るまで、それは続いたのだった。

つづく


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