幸福とは相対的なものでしかない
私は、時折、取り返しのつかない過ちを、つい繰り返してしまう。
私が車で通る、とある街道に、ラーメン屋が立ち並んでいる。と言っても、店同士はある程度の間隔を保ち、しのぎを削るという状況にまではなっていない。道が空いていれば、次々と車窓越しに見えてくる看板の連なりから、ラーメン街道的な印象を抱くものの、まぁ、実際には点在しているというレベルである。
その中に、3軒の店が並んでいる一帯がある。特に名前を覚えるというほどの3軒ではないものの、自分の中では密かに、最初の1軒は『新入り』、2軒目は『惰性』という呼び名をつけている。それぞれ文字通り、開業間もないフレッシュで未熟な店と、上り調子になることは生涯ないだろうが、かといって何かを変えるという気力もない、自然閉店待ちの店だ。
次の3軒目が美味かった記憶があった。曖昧な記憶ではあるものの、1軒目、2軒目が無価値である以上、3軒目に入ることが、その段階では妥当な判断であった。しかし、この3軒目、店の外観、そして内装といい、置かれたメニューといい、全く記憶にない。さほどに印象がない店だったのか。集客もなく閑散とした店で、若い店員は私の横を離れず、なぜか注文を急がせる。
メニューの感じを一通り見て、一瞬、これはヤバそうだ、と感じるも、なんとなく店のイチオシを注文してしまう。まぁ、この3軒の中ではベストなはずだし、私はとりあえずラーメンが食べたいのだ。
ラーメンは異様なほど、素早く届けられた。空腹だった私は箸をくわえ割りつつ、忙しく器を自分に引き寄せる。麺をかき混ぜ、おもむろに口へとかきこみ始めるころに、店長らしき人物のバイト店員にむけたしょうもない自慢話に、かつて覚えのある不快さを感じた。同時に、過去にこの店について、絶叫するほどの怒りを感じた記憶が、鮮明に蘇ってきたのである。
店内を見渡す。うかつにも、店はリニューアルされていたようだ。調味料や灰皿などは違うテイストのものが混在し、その再出発も、たいした決意ではなかったようだと、容易に想像が出来た。味覚は徐々に私の中に存在感を強めていき、もはやこの食事は、小学校のマラソン大会レベルの、つらいものとなっていった。まずい、、、う~ん、マズいぞ。しかし、不思議なことに、まぁまぁのマズさだった。おかしい、私はかつて絶叫するほどの怒りを感じたはずだ。
実は隠れたマズいものマニアの私は、才能と努力が足らないことからくるこの程度のマズさでは、そう腹をたてるはずがなかった。接客か、はたまた金額か、いいや、『下の中』といった評価ではあれ、やはり腹をたてるというレベルではないはずだ。
3軒目がうまいという記憶、それは間違いだった。3軒ともマズかったのだ。リニューアルしていて、この店に気がつけなかった。とはいえ1軒目、2軒目には、それでもやはり、入る価値まではないのだ。それよりも、しっくり来ないのは、かつての怒りの記憶の方だった。
私はそのオススメラーメンのかなりの部分を残し、店長が私の会計のレジ打ちよりも優先するバイト店員への自慢話の結末を聞きながら、なおも怒りの原因を探り続けていた。
意外にも、最後の丁寧な挨拶に包まれながら、私を店を後にした。おそらく、前回は、雇われていたバイト店員が異常にキツイ香水をつけていたとか、ラジオから流れていた曲が、通信環境の悪さでブチブチと途切れ途切れの音を出していたとか、そんなような、店の問題とは言いづらいことだったのだろう。私は、車を出し、「この通りは3軒目も、ダメだ、忘れないようにしよう、、、」そう呟いた。
その時だった。視界の先に、もう一軒、ラーメン屋の看板が見えた。車が近づくと、すぐにそのくせのある香りが、かつての感動的な味を思い出させる。スープ、麺、具の高いクオリティーと絶妙なバランス。好感のもてるスタッフと行き届いたサービス。
ここが、最高の3軒目だったのだ。考えてみたら当然ではないか。1軒目は最近建ったのだから、かつての3軒目は、今はもう4軒目なのだ。
私は、怒りの叫び声をあげていた。
2017.7.16.