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トリック・オア・トリート

それはハロウィン・イベントの翌日の朝だった。
この日、僕はカミさんの「大変な事になった」と言うセリフで、目を覚ました。
(朝から一体何事だろう)と不安の中で話を聞くと、それは確かになかなか大変な事態だった。 

僕らはとある和菓子が大好物で、それが食べられる季節が限定されている事や、それなりに値段が張るのもあり、そのお菓子を食べるのを1年に1度きりと決めていた。と同時に、このお菓子の味があまりにも素晴らしいので、今まで格別なるお世話になった方々へ、季節のご挨拶として贈らせてていただくのが、僕らの季節行事となっていた。
通常では注文してから2週間ほど掛かるこの和菓子は、最近の人気の上昇から、今では注文から配送まで1ヶ月という長い期間を要するまでになってしまった。もちろん、素材の旬も考慮しつつ、逆算して早めに手配はするものの、お世話になった方々の元に到着するまでには、かなり後の日付になってしまう。
注文は非常に簡単だ。そこの店のホームページを通じ、記入欄に必要事項を入力するだけ。しかも毎年繰り返しの注文でもあるので、前年のデータが残っており、「今年も同じ形で同じだけ送る」という入力でほぼ十分だ。 ところが、贈る僕らの側の頭の中は、そう落ち着いてもいられないものがあった。
実はこのお菓子は、作られてからすぐに食べる事が最重要で、秒で味が落ちて行くのだ。そのため、配送面に関して、今までに様々なトラブルを味わって来ていた。

その和菓子を、荷物の中に紛れさせた宅配便屋さんが配り忘れてしまい、夜遅くに届いた事があった。輸送環境はめちゃくちゃな上、すでに時間も経ち、美味などとは決して呼べる品物では無くなっていた。担当の宅配便屋が(そう大した問題などないだろう)とコンビニで買ったようなせんべいセットを詫びにと持って来た時には、身体中の力が抜け、その場にへたり込んでしまったものだ。
そんな事から、ひとたび注文してからというもの、無事相手先に届くまで、僕とカミさんの頭の中では、かなり上位の懸念事項として残っているのだ。

贈らせていただく方々には、事前にご連絡をさせていただき、それぞれのスケジュールや受け取りの都合をしっかりと伺い、確実に受け取れるよう打ち合わせを行う。もし行き違いがあって、少しでも時間が経ってしまったら、この菓子の価値は数段落ちてしまうからだ。 勝手に「贈らせて下さい」とお願いをしておきながら「一秒でも早く食べて下さい」と念を押すのも非常に失礼とは思いながらも、食べた方々にはその理由をご理解いただいているので、僕らはこのやりとりを毎年繰り返している。

僕らの分はかなり早い段階で取り寄せる。役得と言う訳だ。僕らは宅配の営業所留めにしておいてもらい、朝一番で直接受け取るや、いち早く箱を開け、お茶を持参しその場でいただくようにしている。少々がっついたような絵面ではあるものの、それほど時間との戦いが重要となって来る特殊な和菓子で、いわば菓子界の蟹やアワビのようなものなのだ。
そんな状況を乗り越えつつ、今年も僕とカミさんはひと足早く無事に食べる事ができ、この上ない満足の中、また来年のお楽しみと微笑み合った。

そして、これからは後発で送らせていただく方々の分がそれぞれの指定日に届くので、到着の連絡を待つだけの日々なのだけれど、なんと驚いた事に、その内の一件分が我が家に届いてしまったのだ。調べれば、相手先の住所のところに自分達の住所を書いてしまっての、こちらの単純な手配ミスだった。 しかも、その相手方は会社のために、ある程度の数量を送らせていただいている。
すぐに相手先に連絡をし「今日の午前中に着くはずだった和菓子の件ですが、誠にお恥ずかしいのですが、こちらの手配ミスがありまして、改めてまた月末に送り直させて下さい」と説明をさせていただくも、相手先は申し訳なさそうに「それでは今年はお気持ちだけで結構ですよ」と辞退される。それを「それでは我々の方が困ります」と言い張り、半ば強引に、もうひと月分待っていただく事になった。 

一方、うちに届いたこの和菓子がカートン単位である事から、いかに美味とはいえど僕とカミさんの2人で食べ切るのは、少々厳しいものがある。同時に、そのような無駄に食べて良いものでは決してないのだ。
そこで僕らは、普段世話にはなりながらもまだ送った事のない親しい間柄の方々の名前を出して行きつつ、そのまま見込みで車を走らせ始めた。のんびり考えてもいられない、これは時間との戦いなのだ。

最初に「自分達の失敗のため、申し訳ないが、食べてくれないか」と気軽に言える関係の人達のところを直接回ってみる。
まず一軒目は、ご家族も多く、従業員さんもみえるお店なので、事情を話し、案の定笑ってもらいながら無事受け取っていただく事ができた。この段階で約半分が消化でき、僕とカミさんはホッと胸を撫で下ろした。 
とは言いながらも、残り半分をどうするかすぐに考え始める。休んでいる暇はない。刻一刻と時間が過ぎ、味は落ちて行くのだ。

僕は、最近ハーモニカのミニ動画を撮らせてもらっているお店の知り合い達を、片っ端から訪ねて回る事にした。といっても、間の悪い事にちょうど前日がハロウィンのイベント日だったせいもあってかお休みの店も多く、やっている店の店主達もそこはかとなく皆一様にお疲れ顔だった。

2軒目、3軒目と回って行き「じゃあ、お言葉に甘えて、うちは4個」「なら、うちは6個いただきます」と、次々に受け取っていただき、最後の2個を無事渡し終えたところで、所要移動時間約3時間、僕らは本当に大きなため息をついた。
それぞれの方に時間と味との関係を力説し十分に理解していただき、ならばと、その場で食べてくださった方もおられ、自分達が自信を持っておすすめする間違いのない逸品という事で、その笑顔を拝見させていただいた。
こうして、すべて配り終えた僕らは、また車を走らせ、帰宅の途に着いた。

運転をしながら、昨日のハロウィンの「トリック・オア・トリート」というセリフが頭をかすめた。アメリカなどの外国では子供達が「お菓子をくれないとイタズラするぞ」と言いながら、お菓子をもらって回るイベント日の翌日に、我々中年夫婦が「ぜひお菓子をもらって下さい!せっかくの名品が無駄になってしまうので!」と車で駆けずり回る事になるとは。なんとも皮肉なモノである。
後にして思えば、それぞれ動画撮影をさせていただいているお店ばかりなので、「お菓子をもらってくれないなら、ハーモニカを吹いちゃうぞ!」とでも付け加えれば、より笑ってもらえたかもしれない。
さて、送り直す相手先も含め、あと3箇所。僕らはこの荷物が無事に到着し終わるその日まで、警戒をおこたる事はない。

おわり