承認欲求の話

自分にとってのその他大勢に評価されても

気がついたのは小学校の書初め大会の時だった

親が書道が得意だったため
何回も書かされ自分は嫌だったが
代表として選出され自分の書いた字が
表彰されることになった

表彰状をもらい讃えられた

ですが何もなかったんです
次は上手くなりありがたかったが
嫌々書いた字が
自分で書きたい字でもなく

何にも知らん人達に評価され

何の価値もない紙切れになって戻ってきた

あの頃は何もわからない
何も残らない感覚がありました

だけど周りの人達はすごいとか
家族が喜んでくれたからまぁいいか
ぐらいでした

大人になって理解した事があります

自分にとっての価値とは

数ではなく質なんだと
自分が良いと思うものを作り出し
自分が好きな人や尊敬する人達に
良いと思ってもらう事が

自分にとってのその他大勢1000人分くらいの
価値があると


だから理解できないんだろう

SNSでの評価集めが

もちろん人気を集めなくてはいけない
人たちもいます

それはビジネスが成り立っているからいいです

ですがそうでない人も沢山いるし
そこに没頭しすぎてる人は

自分は理解できないなぁって思います

すごく個人的な話なんですが
わかりやすい
簡単
安い

発信者や商品が需要により過ぎてしまっている事

に心が揺れる時は
自分の中で過ぎてしまったのも
あるかもしれないですね

共感よりも新しい刺激を求めてしまっている
気もします

本当に自分の事を見てくれる人が
近くにいないから

そこに求めてしまうのかなぁ?

と思うと自分は恵まれてるなぁとも
思いました

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