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【子育て】子どものクリスマスプレゼントどうする?

【クリスマスストレス!?】

クリスマスストレス、なんていう言葉があるらしい。家族や親しい友人に「今年は何を贈ろう」と思い悩んで、読んで字のごとく「クリスマスにストレスを感じること」なのだ。

【初めてのクリスマスは、、、】

一番初めにそれが訪れたのは、長男が生まれた「翌年」のことである。
というのも、「本当に初めてのクリスマス」を私は産院で迎えたからだ(長男は12/22に産まれた)。

というわけで、本当に初めてとは言えないが「実質上初めて迎えたクリスマス」は、彼が一歳の誕生日を迎えた3日後の12月25日。
私は11月ころからソワソワすることになった。

我家にとって一番最初の子どもは長男。「物よりも思い出をあげたい。」とか「喜びをたくさん感じられる人間に育ってほしい」などの思いから、クリスマスプレゼントに関してそれはそれは大いに悩んだ。

結果、彼が物心つく3歳頃まで、私はクリスマスプレゼントをあげずにきた。

【『物』よりもっと温かいもの・・・】

しかし、息子が社会生活を送るようになると、保育園の先生から「◯◯くんはクリスマスになにをもらうのかな?」など聞かれるようなり、本人もその意味をなんとなくわかり始めてきていたので、相変わらずを悩みの中にいた私は本格的な方針を決めざるを得なくなった。

クリスマス=「『物』をあげるだけのイベント」にはしたくない。
一度物がもらえると物欲は止まらなくなると思ったからだ。
一方で、「サンタクロースはいる」と信じるような子供時代を過ごしてほしい。。。もはや「親の憧れ」に近いクリスマスへの思い。

苦慮の末に「サンタは良い子にお菓子をくれる」というシナリオでいくことにした。

【舶来縛りに翻弄される】

お菓子は「物」ではないのか?という素朴な疑問もあると思う。
そこには、こう答えたい。
ゲームソフトやおもちゃよりなんとなく健全。そして色鮮やかな見たこともないお菓子には、なんとも夢がある。

ならば夢に正当性を持たせるため、北極圏からやってくるサンタのお菓子は当然舶来物でなければならず、「原材料」など日本語が記載されていてはならない。設定にこだわったわたしは、その条件に合う代物を必死で買い集めた。

長男が4歳、このときには次男も生まれており、1歳の時である。

考えすぎて、着手に時間がかかる質である。
子供が寝静まったクリスマス・イブ、ボサボサの頭で夜な夜な起き出し、お菓子をラッピングしていく。仕上げにサンタクロース直筆の手紙を添えて。
最後はクリスマスツリーの下にセットして短い眠りについた。

【サンタを信じる我が子の笑顔、サイコーです♡】

翌朝。

白々しくも迫真の演技で「あーっ!クリスマスツリーの下にプレゼントが置いてあるぅうっ!!!」
子供たちを起こす。

結果、、、




大成功!!!

目を輝かせて包みを抱きしめる子供たち。
その可愛いことといったら♡♡♡
来年も、その翌年も、可能な限りこれでいこう!!

【時は流れ・・・】

あれから6年・・・。

4歳だった長男は10歳になり、学年でいえば小学4年生。かなり疑いの眼でこの行事を眺めつつも、それでもやはりどこかでサンタを信じているようにも見える。

次男は6歳で小学一年生になった。
その下に娘も生まれ、彼女は現在3歳である。

6年前から変わったことの一つに、木造アパートからオートロックのマンションに引越したことがあげられる。

「サンタが家に入れないのでは?」という懸念事項には、「外にプレゼントを置いていかれるように」と、大きな靴下をベランダに吊るすことで乗り切った(もっともこんなことを気にかけているのは家の中でも私だけ、、、)

更にここ数年来、大きな変化がもう一つある。

ベランダにぶら下げた靴下に「念のため、、、」とか小声でいいながら子どもたちが「◯◯をください」とサンタへの嘆願書を貼り付けるようになってきたのだ。

もちろん、その願いは毎年叶うことはないのだが、その健気なさまや、プレゼントがお菓子だとわかってややがっかりした子どもの顔をみるにつけ、ここ数年わたしの気持が揺らいでいる。

ゆらぎながらも、これまで6年にわたり「サンタはお菓子を運んでくる」で通してきたのも事実。

「他の家はおもちゃをくれるのに、どうしてうちはいつもおかしだけなの!?」という子供たちの疑問(不満?)にも、わたしは頑なに持論を貫いてきた。

「そうか、かわいそうだけどそれは本物のサンタじゃないようだね。◯◯が言うように、その家のサンタはお父さんかお母さんかもしれない。
だって、本物のサンタはおもちゃなんてくれないんだよ。ましてや日本のおもちゃなんてあり得ない。」

こう言ってきた手前、本人たちの望むゲームソフトやおもちゃをあげたなら、「おかしいじゃないか?!
だってかーちゃんは、本物のサンタがくれるのはお菓子だけだよ、と言ってたじゃないかっ」となり、これまで紡いできた温かい物語は一気に崩壊する。
「本物のサンタが来なくなった」となるか、「そもそもサンタはいなかった」となり、いずれにしても「ワクワクはサンタを待つ子どもたち」は終わるのだ。

なんてことだ。
6年前に自分で描いたシナリオに、自分自身が苦しめらるとは、、、。

「コロナが収束して、サンタクロースも色んなところへ動けるようになったんだね!」などと、煙に巻いたような言い訳で切り抜けてみようか。

いや、ここまできて、なんかこの曖昧なのはいやだな。

迷いに迷い、今年も結局、舶来物のお菓子を必死で集めることになった。
それを夜な夜な靴下に仕込む。
いつもの孤独なクリスマス・イブ。

【で、どうだった?】

翌朝。

長男がいち早く起きてベランダの靴下を確認しに行く。
そのまま手際よくみんなのソックスを取り込み、きょうだいたちに手渡す。
渡された下の子たちは思い思いに喜んでいる。

その上、
「おもちゃより、やっぱりお菓子の方が嬉しいやっ♡」なんて言ったりして。
前の晩には、「スマッシュブラザーズがほしいです」とか「動物のロボットがほしいです」などと靴下に嘆願書を貼り付けていたではないか?

親として子どもに変な気を使わせてしまっているのだろうか?

うーん、、、

来年あたりは、そろそろ本人たちの望むものをあげようかな、、、

【なんだかんだ、やっぱり悩むクリスマス】

「きみたちにこれまで伝えてこなかった大事なことがある。心して聞いてほしい。

サンタクロースから欲しいものをもらうには、実は手紙を出さなければならないのだよ。

絶対厳守の締切があり、その日を過ぎたら決して届くことはない手紙となってこの世から消えてしまう。

その手紙を出したところで、望むものが手に入るとは限らないし、更には「何も届かない」ということさえある。

どうだい、それでも出してみるかい?」

いや。
まて、まて。

それでは、今までのお菓子はなんだったのか、とならないか?

「それはね、、、。
お前たちのうちの誰か一人の靴下が空っぽだったときのことを思うと、母さんは不憫でならなくて、、、。
親の出した手紙にはサンタは必ずお菓子で答えてくれる。
だから、わたしはお前たちの親としてこれまでずっとサンタに手紙を送ってきたのだよ。」

おっ、完璧!!!

いや、まてよ。
ホントに大丈夫か?

だって、「サンタはお菓子」と決めた6年前の私だって、当時は「完璧!」と思っていたではないか。

もはや思いが強すぎて、もう何年も最適解にたどり着けずにいる。解けない魔法はないものか、、、。

しかし、本当はわたしも知っている、解けない魔法などないことを。
夢でくるんだこのサンタクロースの物語も外ではない。
その終わりを、わたしちは残念なほどにあっさりと迎えることになるかもしれないし、ひとたびそれが解けてしまえば二度と「サンタクロースを信じる日々」には戻れない。

であるならば、今はストレスと感じるこの時間を取り返しのつかない貴重な時間として尊ぼうではないか。

そもそも、作り話をしてまで喜ばせたい相手などそう何人もいるだろうか。

こんな風に誰かのために思案を巡らせ試行錯誤を繰り返せること。
それ自体が、「誰にでもあるわけではないとてつもない幸せ」なのだ。

そうであれば、お菓子をあげようがおもちゃをあげようが、そこに違いは生まれないのではない。

なんかちょっとしっくりき始めている。
いい感じ。

来年は少し落ち着いてクリスマスを迎えられそうだ(とはいえ、やっぱり悩むんだろうけど(笑))。

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