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【子育て】人は呼ばれながら母になる

〜次男と娘と手足口病〜


『部屋とワイシャツと私』 みたいな タイトルで始まったが 特に大意はない。

分野ごとに投稿するつもりでいたが、まとまった時間がとれずに今に至るので、その間にたまった小ネタを無差別に 蔵出しするというだけだ。

さて、次男の「次男っぷり」が止まらない。

【その壱】
それぞれは面識のない者同士の複数の友達と同時に約束してしまった次男。
いわゆるダブルブッキング。
解決策のつもりなのか何も考えていないのか、意気揚々と病気の妹がいる荒れた狭小マンションに友達を連れきた。
病院返りの玄関で鉢合わせて、かーさんびっくり!友達は右往左往。

【その弐】
遠足の帰り道。
パスケースごと鍵を落としたというので紛失届を出しに交番へ行った。
鍵は出てこなかったが、同じ名前で彼のリュックが届けられていると知らされる。このリュック、ここ数週間行く方がわからなくなっていたものだ。
じーじの家にでもあるのかな〜、と本人、(親もですが)特に慌てることもなく、一か月ウェイウェイ過ごしていた。
ごめんよ、リュック。
まさかどこかに置き忘れられていたとは。。。
気になる中身は、『最強王』3冊、キリンと蛇のビニール人形、水筒、もろもろ。

【その頃娘は】

体調不良で不機嫌真っ只中の4歳になったばかりの娘。
りんご病→アデノウィルスと次々に罹患。
コロナ禍での除菌生活によるものか、娘ばかりでなく都会の園ではウィルス性の病気が爆発的に流行っている。

【手足口病大流行】
そんな中、受診当初はアデノウィルスと言われたけども、翌日、手足口病の教科書みたいに手足に湿疹がでてきた。
これはもう、手足口病決定だろう。

今回は喉の症状がひどい。
熱は下がっているものの、のどが痛すぎてついにしゃべらなくなった。
ハミング?的なもので意思を伝えようとしてくる。「む~」とか「ぬ〜」とか。
わかってあげられず、ごめん。

しかし意外にきっちり伝わることもあるもので、特に、「ドラえもんが観たい」は一際よくわかる。

なんて感心している場合ではない。

ここ数日牛乳しか飲まないし、今日はそれさえも口にしなかった。
ワンサイズ小さくなってしまった印象で、いつもの爆弾娘はどこへやら。
すっかり弱って床をゴロゴロしている。

【舌が痛そうすぎるっ!】

もう、3日も歯磨きをしていないので、口腔状態を確認がてら羽交い締めで口を開けさせたところ、とんでもなく可哀想な状況になっていた。

舌の両脇に潰瘍と呼ぶにふさわしい激しいただれを確認。翌日の受診の目安にと写真を撮っておいたが、見返すのも痛々しいほどのただれ方だ。
絶叫させながらせっかく開けてもらった口なので、最低限の歯磨きをした。
ノルウェーで買った子ども用の歯磨粉を使うことだけが、泣き叫ぶ娘への唯一の罪滅ぼしであった。

【子どもの不調でメンタルやられる】

わたしは家に籠もっていることがとても苦手だ。気持ちがどんどん落ちていき、特に悪いことがあるわけでもないのにネガティブモードが止まらなくなる。
そうせざるを得ずにそのような生活を何年も続けている親御さんもいると思う。
どうやって自分を保っているのだろうか?
そんな方を私は心の底から尊敬する。

こどもが不調なこんなときくらい身も心も寄り添いたいと思いながらも、気づくとストレスでバリバリポテチを貪っている。
本当は食べたいわけじゃない。
やり場のないソワソワをバリバリで埋めているだけだ。

【人は呼ばれながら母親になる】

「生まれたときから母親」なんて生き物はそもそも存在しない。そして私たちは子どもを産むことで「母親」という生き物に突然変異するわけでもない。

どんな人であれ「お母さん」と呼ばれ続けることで母親になっていく気がする。

こんな私でも、10年にわたり「お母さん」と呼ばれ続けることで何となくそれっぽく見えるようになってきた。

遡ることおよそ11年。
初めての子どもの一ヶ月検診で、医師が私に「『お母さん』はどうですか?」と聞かれた時の己のたどたどしさよ、なんとなく収まりの悪い気恥ずかしさよ。

え?わたし?

みたいな、くすぐったいような、それでいてどこか誇らしく高揚するような感覚だったのを覚えている。

それははっきり覚えているのに、それ以降の生活で母親としてめっきり自信がついてきた、みたいな瞬間には全く遭遇していない。

あ、一度だけあるかな。
その「初めての子ども」になった長男が2歳のとき、指を切って号泣しパニックを起こした。パニックがおさまらず過呼吸になりかけたので、横っ面を叩いて正気に戻した。
しかしこれもよく考えると「母親として」というより、そのもっと手前の、「人としての条件反射」だった気がする。

ね、母親になれる、なんて、ないよね。

人は「お母さん」と呼ばることで徐々に母であることを受け入れ始める。
そしてそれは年月を経て溜まる薄ぼこりのように、いずれ無自覚に体を覆っていくのかもしれない。

う〜ん。

広げた話の風呂敷をきれいにたためなくなってきたので、ひとまずここで一旦、筆を置く。


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