恥、を上書きする

今日もごきげんよう♪MAIです^^

恥ずかしい~!

って思うと動きがストップします。

あれは恥ずかしかった。

って思うと自分の気持ちだけにとどめておきたくなります。

思い出すだけで赤面して、

ああぁ”ーーーーーーーーーーーーーってなって、布団の上でうねうねしはじめる。

なかったことになればいいのに、って思うことありませんか。

私は、たくさんあります。

実は、私は肝心すぎるものが抜け落ちる、ことがたまにあります。

中学生のときに、カバンを学校にもっていくことを忘れたことがあったんですが(てぶら笑)、それを先生に申告したときの先生の引いた顔が今でも忘れられないです。

しばらく、「カバンの子」って呼ばれました(笑)天気の子じゃなくて、カバンの子。

今は笑い話ですが、当時は超深刻に受け止めてしまっていました。なんてあんぽんたんなんだろう・・・と。

あと下着の着用を忘れてでかけるとか、セルフレジでお金を払い忘れるとか(あとで全力疾走で戻って払った)、自転車で来たことを忘れて歩いて帰るとか、少々やばいことをたまにやらかします。

そのたびに、もう恥ずかしいことしないようにしなくちゃ、と赤面してたわけです。

実はこの発想、もったいないんです(*^^*)

恥ずかしいパワーは、人の動きをとめる抑止力があります。

恥ずかしい状態にならないように、下手しないように、ダメにならないように、だから「やめておこう」。

それが”恥”のもつパワーの一側面かな、と思います。

人に迷惑がかかるのでやめておいて良いこともありますが(レジで支払い忘れるとか)、自分の行動を抑制してしまっている”恥”の場合は、自分の人生のチャンスを逃すことがあります。

この歳で失敗するのは恥ずかしいかもしれない(やめておこう)、とか、

私があの仕事に応募するのは恥ずかしいかもしれない(やめておこう)、とか、

自分がこの服を着ることは恥ずかしいかもしれない(やめておこう)、とか、

恥ずかしいこと=しない方がいいこと、と捉えてしまうと、自分の可能性がしぼんでしまいます。

”恥ずかしいこと”を”恥ずかしいこと”として捉えているのは案外自分だけ、だったりします。

それはもったいないので、恥ずかしいことは基本的に何もない・何もなかった、と決めて、すべての解釈を変えるのです。

「カバンの子」と呼ばれようが、大事なことがぬけおちる程、考え事に対する集中力が高かった、ということが分かる事例だった。

と思えば、恥ずかしい思い出ではなくなります。

これからしようとしている恥ずかしいかも、と思えることも、すべて肯定的に捉えます。

”恥ずかしいかもしれない”と思えることをする、というのは”挑戦する”ということです。

失敗するのも、応募するのも、着用するのも、すべて挑戦した、ということなのです。

挑戦する自分、立派!であります。

自分を肯定する言葉、しか使わなかったら、自分を肯定するしかなくなるのです。

生きることが好きになる言葉、しか使わなかったら、生きることが好きになるのです。

言葉を使って、恥を上書きする。言葉を操って、恥を手放す。言葉を制して、捉え方を変えていく。

恥を手放し、今日も一歩前進前進^^


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