いちど捨てられた猫たちに、私達ができる何か。
先日のネコ巡回…というか、餌やりさん達へ地域猫への餌とお水を配って回ってる日に、たまたまそこで餌やりをしてる女性と出会った。
そこには、私が初めて会う野良がちょうどゴハンを貰っていて、その「猫ねえさん」に飼い猫みたいにスリスリし、とっても懐いていた。
その方のおかげもあって、私もその2匹とは初対面なのに、逃げられずにナデナデ出来たことには、いたく感動していた。
そこでその女性と、この辺りの地域猫のことでひとしきり話に花が咲く。
彼女は来れない日以外ほぼ毎日に近いくらい、猫達にゴハンをあげに足を運んで来ては、その様子を見てるらしい。
私は「こうしてお世話してると、野良ちゃんらをお家に連れて、お迎えしたくなりませんか?」と尋ねると「将来亡くなってしまった時に、その辛さに耐えられそうにないから、私はこの距離感でいいの」と話してくれた。
私の心には、その方の猫愛のカタチと一緒に、その言葉がじんわり残った。
さて、当たり前のことだが、ここにいる野良ちゃんらはみんな、以前は誰かの猫だった。
ホームレスの猫同士で妊娠して子猫が増える現象はあっても、個々は野生動物ではない訳で、いま外にいる猫は元は家猫だったろうし、本来は家で飼われるべき動物…ということに今はなっている。
それなのに、飼い主から捨てられる猫(犬)は、今なお後を絶たない。
マイクロチップは義務化でないため、そんな悪徳飼い主を断定することすらできないで、それも原因のひとつではないのか?
いきなり家なき子になった彼らは、生きるために何の準備もない中、きっと死に物狂いでやっと生きる術を身に着け、ようやくここまでやってきて、「野良猫」として存在している。
そう思うと、それだけで敬意を払いたい気持ちにすらなる。
これは犬に関しても同じ。
人間だったら逆に、その壮絶な状況を受け入れて、そんな風に健気に生き抜いていけるだろうか?
一度は外に捨てて、野良にしてしまったくせに、またそんな野良猫を捕まえては、あらためて躾け直し飼い猫にしようとする…人間とは、ほんとに身勝手だと思う。
それでも(猫本人たちには、そんな認識などないだろうが)そうなるのを待ち望んでいる野良たちは、日本中にも、世界中にも、山ほどにいるのだ。
そうして、再び飼い猫になれる猫はひと一握り、何かしら運が良かった猫…というようなことが、野良猫についての事実である。
外で生き抜いていくことの過酷さ…しっかりした餌を毎日食べられる保証などなく、暑さ寒さで体力を極限まですり減らされ、若いうちにはまだしも、年老いて病んでしまった時など、峻烈の極みだろう。
ましてや、生まれたばかりの子猫など、それが望まれてない場合には、その子には生死さえ選べる状態すらなく、まるで生ゴミのように袋詰めにされ捨てられるという悲惨なケースが溢れていて、そんなニュースを知るだけで、もう苦しくなる。
ちゃんと最後まで面倒が見られるのなら、そんな野良猫らを家に連れ帰って家族として迎える…また保護することでお家とゴハンが貰え、その猫が里親さんと出会い幸せを掴むチャンスがある…それは大変素晴らしいし、人として責任ある姿だと思う。
ただ、彼らはこれまで野良として環境も選べず、帰る場所もなくその土地で必死で生きているうちに、今もうすっかり劣悪な生活に慣れてしまった…それを外猫からまた家猫へ…実際に人と暮らす社会生活に慣れ親しむまでに、その野良は段階的なステップを強いられながら、また「にゃん生」を大きく方向転換させられる苦労と向き合うことになる。
待ちわびていた餌と住居を与えるだけでなく、そんな野良へのケアと配慮、より混乱とストレスが少ない中で「家猫」になれるような人馴れトレーニングと、その野良を個別にサポートできるシステムのひとつが「預かりボランティア」である。
それは通常、保護団体さんやボランティアグループさんらによって運営された中で、そのようなプログラムが実施されているようだ。
これは誰が考えたのか知らないが、本当に画期的なシステムだと思う。
しかし、ここで更にもう一歩、すすんでみたらどうだろうか。
(※ ここからは、私の理想の光景を描いた妄想世界…いや、実現したいと願う未来についての記述となるため、悪しからず…🌠🌠🌠)
例えば…ある人がある野良猫(または野良犬)を迎え入れたいと思った時に、団体さんやボランティアさんを必ずしも経由せずとも、個人のレベル・個々の家庭レベルで、その猫(または犬)をきちんと動物愛護的に、動物福祉的に、則って「保護」ができたなら。
これは多頭ではなく、あくまで一匹(一頭)ずつに対する保護と許可のカリキュラムとすれば良い。
まあ今でも…つまり拾い猫(または拾い犬)などは…することが出来る。
昔はそれが当たり前だったし…そうやって飼うことは出来るし、実際している人は大勢いるし、それも悪いとは思わない。
しかし最近の風潮としては、そのザックリしたお迎え方だと、その猫(犬)のQOLを図れない場合もあり、それに気が付きにくいかもしれない。
ひいては飼い主の考え方の偏りや自己満足で、その個体を不幸にするような悪循環に繋がらないかの、客観的な確認も判断もなされないのではないか。
(これは、ペットショップのお迎えでも同じことが言えると思う。)
単に元気でご飯を食べてる…といった健康面だけでなく、メンタル的にも問題なく飼育するにはどうするか、野良の習性を身に着けた猫をどうやって落ち着かせてあげ、飼い主との信頼関係を築くために必要なことは何なのか…など、それを一個人が簡単に学べるカリキュラムが国で準備されないものか…そんな思いがある。
いわゆる国家資格じゃない、野良を飼いたいと願う一般人向けの、比較的短い研修と手続きにより、そういった内容を市区町村経由で無料で学べる体制を実施。もちろん、そんな個人向けカリキュラムであっても、動物愛護法にのっとったレベルに引き上げられた内容なので、その保護猫(または犬)の飼育者は、カリキュラム後の条件として、正式な保護認定にあたり必ず飼主登録をする。また、その保護認定された野良猫(または犬)には基本的にはマイクロチップを入れる。そうしてお迎え後に責任状態をきちんと管理できる仕組みがあり、そこまでを終えた人には、無期限でのフォロー体制もある…というようなもの。
今ある動物愛護センターはほぼ今、この役割を担って頑張ってくださっているが、それはそこで収容されている動物たちに対してのみ、譲渡の際にこれが行われている。
これをそれ以外の、個人が外で見つけ捕獲した猫と犬だけを対象にしたとし、こういった専門アドバイザーを各地区に1人か2人駐在していただき、それとは別に、限定した時間帯でコールセンタースタッフの対応。可能な研修は全てオンライン、その後に実地研修だけ半日講習(月2回だけ予約して)を行うなどし、カリキャラム修了時には登録作業と共に、簡単な保護研修修了証などのライセンスを発行。
一匹ずつに対して行われるので、その飼い主が仮にたくさんの犬や猫のお迎えし、複数受講をするような場合には、その受講数だけ知識と経験を積んでいくものとなる。そうして繰り返しで学ぶことで、犬や猫の基本・ある程度の専門知識を得ている人と見なされるかもしれない。そのようにして、責任感ある意識の高い飼い主を日本中に増やし、その人たちは時に地域コミュニティーでリーダーシップを測ってくれたり、行政でも手が回らないところに、少し手助してくれるような人材となり得る可能性があるのではないか。
これなら、18歳以上~65歳位まで受講・登録が可能であると思う。(65歳以上は通常のように、保証人連名サインを設ける)またこれならば、仮にある野良猫(または野良犬)をすでに飼ってしてしまってる人でも、カリキュラムを受けたければ、登録・実践することが出来る。飼い主が知識と理解を増すのであれば、もう遅いということもなく、それはその猫(犬)にとってのメリットとなろう。将来もし飼育困難な状に飼い主がなった場合でも、そこにまずすぐに相談・ヒアリングして貰える窓口もある。
もしそうしたら、個人の自助努力でも積極的かつ正当に猫(犬)保護ができたら、今より活性化するのではないか…。
そうしたら、一部のラッキーな猫(犬)という枠がぐっと広がり、幸せな猫(犬)がもっと増やせ、遺棄する飼い主にも歯止めがかかり、不幸になる命も減らせるのではないか…。
私はこうしてまた、ひとり勝手に「こうなったらいいな」ばかり頭に浮かび、今それを具現化する能力も方法もないのであるが、まずはここで、つぶやきだけでも発してみる。
(長いつぶやきにお付き合い下さり、恐縮至極です!)
ただ、この『保護』という名のもと、人間の思い通りにしようとし、猫(犬)に無理強いさせて、すでに十分に傷付いている野良達をさらに傷付けるようなことは、もう絶対にしてはならない。
中にはもう飼猫に戻るのはイヤだ、ずっと野良のままでいい、という子だっているだろう。
ことさらに、猫は自由を愛する動物で、束縛やコントロールを嫌う生き物。
そんな本人たちの本能と意思を尊重することを忘れての保護など、本末転倒と言える。
数日前の夜のこと。
家の前の暗がりで見たのは、恐らくイタチだった。
なのに私は痩せた猫がいると思い、あら猫ちゃん♪…と近付いて、餌をあげようと思ったが…ん?妙にしっぽ長いね?太さがあるね?…と、首をかしげてる間に、さっと草むらへ姿を消していった。
イタチもエサを漁りに、こんな人の住むところまで顔を出したのか。
そうなると、野良猫はまさにもう、野生動物の域にも入ってくるのか。
しかし、彼らは山猫みたいな、本当の野生動物にはなり切れない。
人間に捨てれらても、そんな人間にまた頼るしかないし、そんな人間社会の裏影で、生き延びるしかない。
だからこそ、保護され、順応し、新たな飼い主に飼われる…この中間にあたる扱いは日本にはない。
それが今「地域猫」という新たな文化…野良たちの新たな生き方が、ここに懸かっているような気がしている。
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