
冒険者 #13
光の世界樹
ヒィィ ヒィァ
世界樹の根元にある聖堂の暗い廊下をハクロとエルフィが急ぐ。中程で悲鳴のような、何かの鳴き声のようなものが、二人の耳を打つ。
「……エルフィの姐さん、先に行ってください。俺もひと仕事すませてから追いつきます」
防衛線を抜けてきた魔獣が迫ってきている。それを感じ取ったハクロが、廊下の柱の陰にエルフィを導く。
「この柱の陰に沿って、進んでください」
「ハクロさん……」
エルフィが迷いの感情を、わずかに顔にはしらせる。
「大丈夫ですよ……俺もそれなりにやれます。それにウチのパーティー、死ぬことがご法度なんで」
ハクロが不器用に笑い、再度エルフィを促す。
「ご無事で」
エルフィの気配が遠ざかるのを感じながら、ハクロが大型のナイフを抜く。
「ミレニムの姐さんに、細工してもらったコイツでどこまでやれるか……兄さん達ほど、荒事は得意じゃないんですがね」

手足の長すぎる猿の魔獣が三匹、柱や壁を進んで来るのが見える。
このまま行かせては、まずエルフィの身に危険が及ぶ。かといって、あのように高い所の魔物を、全て同時に奇襲するのは、不可能だ。
「やれやれですね」
ハクロは静かに廊下の中央に歩を進める。自らを囮にして、魔獣と対峙する。
これが、最善の道だった。
「さあ、お立ち合い!三匹の猿と一匹の虎、どちらが勝つか、刮目ください!」
ハクロに、三匹の魔獣の爪が迫らんとしていた。
魔剣が八本、あらゆる方向からレオルを狙い撃つ。時に消え、死角から閃光を放つ。
レオルはそれらを躱し、グレイシャに肉薄する。
彼女の細い手が上がる。
氷の壁が牙の如く、下から襲いかかる!
レオルの魔剣が唸る。
振動が氷壁を震わせ、粉砕……氷の粒に変える。
「グレイシャ!」
ひときわ大きな魔剣を生み出し、レオルの魔剣と打ち合う。
グレイシャの魔剣は、氷の魔剣。刀身が粗い水晶から削り出したが如き長い魔剣。レオルの魔剣が触れたところから、凍らされる。
〘灼熱の刃を発動……同時に熱線を……〙
魔剣が紅く熱を帯びて、氷を溶かす。同時に、レオルの周りに、熱線を放つ赤く光球が生成される。
「よせ!……目標を後方の魔剣に変更!グレイシャは狙うな!」
レオルの急な変更指示に、一拍遅れて三条の熱線がレオルの背後から迫る魔剣を焼き払う。
〘非効率……本体がある限り、魔剣は幾つも生み出される……目標の変更を要求する〙
「それは、許さない……グレイシャは助ける。絶対に撃つな」
「お前は、無駄なことをしている……吾は、使命を果たすだけの存在。お前が助けようとしているグレイシャは、もういない」
無表情のまま、感情のない声でグレイシャは語
る。

「ホムンクルスの心は、創造主に忠実であるために作られた仮初のもの……使命を果たす障害になるならば、リセットされる……親を求める心、寂しさ、悲しみ、増悪、それらはすべて魂から生まれる度に消えてゆく、不純物……ルザロ・ワーズから作り出された、魂を管理するもう一つの人格たる吾が、無駄な心の断片を消す……魂から力を引き出し、使命を果たす……我が父のために……」
どこかここでは無いものを見据え、感情のない声が、流れる。
「狂っている……何のために、そこまで……」
「戯れに答えてやる、吾も詳細は知らぬがな……創造主の娘が未知の病で死に、魔導文明を生み出した彼等でさえ、死は乗り越えられず……戦争や病で滅んだからだ……永遠の生命に対する彼等のただの醜い嫉妬だよ。エルフ達が、彼等の生きていた時代に存在していたから、嫉妬の対象が彼等になったにすぎない」
嘲るような響きに聞こえた。
「そんな者達に何故、尽くす?……お前は、充分理性的に判断ができるのではないか?もう一つの人格」
無表情のまま、唇の端が持ち上がる。
穏やかな神の偶像が、卑しく不気味に堕ちたものに変わる。
そんな表情だった。
「吾も、何もないからだ……使命を果たす以外に、何もない。使命が終われば、自壊する。そう作られている……知のある生物として、あまりにも空虚。あまりにも不完全……それが吾よ」
「父より与えられた使命を果たして、終わる……せめてそれがなくては、生まれた意味がないではないか?……お前達の言葉を借りるならば、あまりに悲しいではないか」
レオルの魔剣を握る手から、力が抜け落ちそうになる。
これは、空虚を撒き散らす怪物だ。己だけでなく、まわりの生の意味を、奪い去る魔族だ。
「俺達、魔族は救いがたい、な……」
自分も、相手の魂から能力を奪い、その魂の力を奪う。まさに最悪の兵器の一つだ。
「……さて、我らが悪いのか、使う方が悪いのか……君との論議は、なかなかに心が震えるのだが、ここまでとしよう。吾も最初にして最後の、大切な使命があるのでね」
氷の魔剣が、冷気を吐き出す。
「最後にお前、名前はレオルだったか……礼を……」
魔剣がグレイシャの、両側にズラリと二十本ほど出現する。
「……黒騎士にも語れなかった、我の心中を聞いてくれた。語らずに終わるはずだった我の心を知ってくれた……」
レオルも、魔剣をもう一つ生みだす。より戦闘に適した形に己を変えてゆく。

「その礼として、吾が使命を果たした暁には、グレイシャの魂を解放してやろう……残った吾の欠片と、せいぜい親子の真似事でもしてやるがいい」
レオルの魔剣が光を纏い、音を上げて生き物のごとく吼える。
「貴様の思い通りにはならない……グレイシャは返してもらう」
レオルの魔剣が、始めてグレイシャに向けて振り下ろされた。

「雪雲の魔物が、あんなに……急がないと」
世界樹の間は吹き抜けになっている。
そこから、世界樹都市にまさに迫らんとする雲の魔獣の姿が見て取れた。
世界樹の根元に作られた『王の間』に、エルフィの姿があった。
石の玉座が鎮座していた。
その玉座には、根が幾重にも巻き付き、独特の雰囲気を醸し出している。
これは、エルフの長だけが座り、世界樹の力を借りて、自然の力を操り、一族を助けるために使うものだ。
ただ、長いこと使われたことはない。
世界樹は、世界のために存在するもの……それを狙う者がこれまでにいなかったためだ。ましてエルフが管理する森林王国を、侵略しても利がない。世界樹から生まれる力はエルフしか扱えず、森林やそこに住む獣を得るために、エルフと事を構える意味が見いだせなかったからだ。
「わっ、石が冷たい……でなくて、世界樹さん、エルフィです……はい、とにかく急いで、あの雪雲の魔物を撃退したい、のです……えっ、長に選ばれては、でも緊急なので、……ええ、特例で、お願いします」

エルフィが、声無き声に説得を試みる。
「……一人で、です……反動は、覚悟しています」
エルフィが、再び空を見遣る。雲の魔獣が街中に入ってしまっては、最後だ。
禁術と呼ばれる力は、街を巻き込んで使うことはできない。
「もう!早くしてください!……覚悟してここに来てます!早く!……みんなが、危ないんです!」
蒼い光が幾つも、玉座の周囲に現れる。
十、二十、……百……と増えてゆく……
エルフィが、目を閉じて玉座に深く座り込む。
彼女と玉座を通して、雷球が世界樹を駆け上っていく。
エルフィの唇から苦鳴が漏れる。膨大な数の精霊と心の中で対話、説得して、世界樹に集める。
いくら普段から精霊と馴染んている彼女でも、数が違いすぎる。
身体においては神経が、精神においては心力が、ともすれば処理しきれずに、焼き切れそうになる。
そのせいか、何故か今思わなくてもよいことが頭に浮かんだ。
〘……レオル、さん……グレイシャさん、と話せた、かな……〙
世界樹、街中、街の外の広大な範囲の精霊が、エルフィを媒介にして呼び込まれて、世界樹に集まっていく。
玉座を摑む手に血管が浮きあがるほどの力が加わり、説明しがたい激しい痛みが何百と、まさに駆け抜けていく。
自分を見失いそうになる。
痛みだけに思考が支配されていく。
それを本能として防ぐためか、エルフィは薄れゆく意識のなかで、何故かレオルのことが頭に浮かぶ、そして消えてゆく……
〘……また、お茶を、……一緒に飲んで……お話ししたいなぁ……〙
エルフィの意識は、光の中に飲み込まれていった。
世界樹が、雷球を幾千をその身に纏い、紅く燃え上がっていく。
光炎が、稲妻となり、空を渡っていく。

空が燃える……
雪雲の魔獣は、声を上げるまもなく、焼き払われ、跡には何一つ、残りはしなかった……