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ピカピカの一年生✨

一枚の写真 ⅱ

前回が母との写真で
うちではだいたい父が写真を撮って現像していたので
父との写真はないかなと思っていたら
出てきた!
多分父は入学式には行ってないので
終わってからの夕方
和歌山城の公園内での一枚
6歳の春
母がカメラで撮っていて母の方を見て
二人とも笑ってる
しあわせそうな一枚
父は木工職人だったので入学式の私の服に合わせて
ちょっとよそゆきの服を着ている
今と違って両親が入学式に出る家も少なく
写真屋さんで撮るという家でもなかったので
父との記念写真を撮りに来たのだろう
その時代はミニスカートが流行り、海外旅行や景気も上向きの様子だが
うちでは母が色々家計を切り詰め入学式の服も買ってくれたのだろう
父は木工の職人だったので机も二段ベッドも箪笥も手作りだった
弟はキャラクターの机が欲しかったようだが
わたしは父の造った机が好きだった
今だったら友達に自慢してたことだろう
そのころ周りには祖父も祖母も叔父や叔母も近くに住んでおり
いとこもたくさんいたのでにぎやかだった
中でもおじいちゃんが川で採ってきたウナギをさばき料理してくれた
かば焼きは絶品だった
ボラのへそと呼んでいたどこの内臓かは知らないけどその塩焼きは
みんなで取り合いをしたものだ
庭にはリンゴの木があって、菊の花の植木鉢が並んでいた
私にとっては心も身体も豊かな時代であったのかもしれない・・・
ひとつ違いの弟に母を取られた私はよく父の膝に座っていたそうだ
多分しかたなく入学式という自分が主役のお出かけに心はウキウキしてた
ことだろう
父は口数は少ない人だったのであまりしゃべってはいないが
いつも私のことは可愛がってくれていたそうだ
そして私も幸せに感じていたように思う
高校くらいの時に母にこのころの家計が大変だったとか父がどうだったとかの話を聞かされていて、そう思い込んでいたのだが
そうでもなかったんだなと感じる
今の自分から見てもこころがほんわか楽しい時間を過ごしたんだなと
自分の過去の記憶を書き換えた。
自分はいい子をずうっと頑張ってたと思っていたけど
もしかしたらそれがわたしのありのままで
母から洗脳されていたかもわからないけど
父は家では物静かなひとだったので特に何かあったわけではないけど
つい、自分のマイナスなところを親のせいにしたくなったりするけど
やっぱり 親は子のことを思い、一生懸命働きできるだけのことを
してくれたんだなと
できるだけのこと
それしかできないよねって思った
私の一年生はピカピカだったんだ。。


お尻をたたいてくれた師匠に感謝💛

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