息子が産まれました

1/30、土曜の昼過ぎというこの上なく立会いやすいタイミングで第一子が産まれました。
その日のことを思い出しながら書いていきます。

朝10:30頃、陣痛を迎えた奥さんを病院に連れて行き、産気づくまではまだ時間がかかるから、と一旦家に帰された僕に「きて!」と極めて短く且つ要領を得やすい連絡があったのが12時過ぎ。

婦人科に到着し2階へ上がると、エレベーターを降りた瞬間に「いったぁああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」と奥さんの絶叫がフロア中に響いた。
案内されるがまま分娩室へ入ると、僕の立ち合いを間に合わせる為に既に頭が少し見えている息子が春麗の発勁のポーズで押し返されていた。


そこから彼が産声をあげるまで10分足らずのことだったと思うが、それはもう壮絶の一言で、
奥さんは「いいいぃぃぃぃいいいいいぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!死ぬーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!」と泣き叫び、息子は母の傷口を倍の長さに裂かん程のハイペースで出ようとしていた為、相変わらず発勁のカウンターを喰らい続けている。
奥さんに声を掛けながら忙しく動く助産師さん達。

正直に言って、かなり引いてしまった。
目の前で起こっている事態と、自分とは、本質的に"何の関係もない"ということを悟ったのだ。

勿論初めは当初のシミュレーション通り、あるべき旦那の姿を見せるべく奥さんの手を握り、声を掛けようとした。
しかし一切の痛みを伴わない僕の声はただ空気を振動させるだけで、何の意味を持たないと早々に気付いたので、これ以上空気を振動させるのは止めて、ただ見守ることにした。本当にかける言葉が無かった。

それが悲しいということはなく、悟ってからはむしろ清々しいというか、まるでピッチ上の選手に拍手を送るサポーターのように100%の気持ちで彼女を応援することが出来たのだ。

13:33。 2,814g。
息子の産声を聴いた瞬間、不思議なことが起きた。
嬉しいとか、安心とか、奥さんへの感謝とか、それらの感情が起こるより先に涙が溢れたのだ。初めての経験だった。
目に砂埃が入ったくらいの極めて反射的な現象だったので、こういうプログラムが予め組み込まれているんだろうなと一人納得した。

それから奥さんを労い、息子と3人でしばし幸福な時間を過ごした。いつまでもそうしていたかったが、僕にはその日急いで家に帰らなければならない事情があった。

つづく

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