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尊敬している大好きな大人との3時間に及ぶ人生相談の振り返り~前編~

はじめに
半年間を振り返って~きっかけは尼崎居候生活~

就職活動に対する考え方

とりあえず生きていきたい場所と人は決まった~一人の占い師さんとの出会い~

一番大切なのは命~宮城・福島での経験~

今までの自分にバカタレと言いたい


はじめに

2週間ほど前だが、モヤモヤしていることが肥大化しすぎて、私にしては珍しく数日間気持ちが落ち込みすぎて何も出来ずただ寝たり、このモヤモヤをどのように処理すればいいのか分からなかったので

大好きな大人に相談することにした。

それが、自分について考えさせられる貴重な機会だったので、書き留めておこうと思った。

その中で自分が考えたこと・時間が経って処理したことが大きすぎたので

21歳の自分が考えていたことの記録として、前編・後編に分けて書いていこうと思う。


私には、ありがたいことに、困ったときに自分の考えを受容してその上で自分の考えを述べてアドバイスをくれる大人が数人いる。

その中でも、青森県八戸市でバリューシフトという会社を創設されており、

バリューシフトのリンクはこちら            (http://www.value-shift.com/home/companyoutline)

「働く場所がないなら自分で作る」という考えをお持ちで、優しくて包容力があって、世の中を鳥の目で俯瞰してみていて、つい先日も私が運営している講座にゲストとして登壇してもらうほどお世話になっている外和信哉さん

に人生相談にお忙しい中、のってもらった。

半年間を振り返って~きっかけは尼崎居候生活~

私は、来年大学を卒業する予定なので、卒業後どのように生きていくのか暮らしていくのか決めないといけない。

昨年の夏休み、兵庫県尼崎市という日本一おせっかいでそこに住んでいる人達それぞれが家族みたいな(本当の家族ではなくても、住人たちが家族のように見えるという意味)町に1か月で3回家が変わる、居候生活をしていた。

そこから帰ってきた後、私は何かに取り付かれたかのように、会社説明会や意味なさげなインターンに行き始めた。

今思えば、「誰かに言われたから」 とか 「周りに惑わされたから」とかいう理由で将来のことを考え始めたわけではなくて、自分でなんとなく将来のことを考え始めた方がいいのかなと思って将来のことを考えていた。

今から思い返すと、尼崎居候生活での2つの出来事が私をなんとなくの焦りからくる行動に結びつけたのではないかと思っている。

一つ目は、ガールズバーの入店体験を働く側でしてしまった経験(詳しくは以下参照)だ。

「ガールズバーでのアルバイトも体験の時点で怖くなって断念するような自分は、このままフラフラしていると、キャバ嬢にもなれないなぁ」

と思ったことを思い出した。

「真面目に生きなければ」

「ちゃんと将来の事考えなきゃ」

と本来考えなくてもいいようなくてもいいような思い込みを知らず知らずのうちに自分に植え付けていたのかもしれないと感じた。


2つめの出来事は、尼崎で3回家が変わった内のの2軒目に居候していた、とてもしっかりした子育てママさんにかけられた言葉である「言ってることとやってることが違う」という言葉だ。

これは、私が親に反抗しながら親の脛をかじりまくって生活していることを何とも思ってないかのように話したことが原因だ。


このママさんは、高校生のころから自分の学費を払っており、阪神淡路大震災の時には、家に帰って電気をつけようと思ったらつかなかったという出来事を経験されている。また、19歳の時から子供を育てていて、毎日3~4品もの栄養バランスたっぷりのご飯を作っていて、でも人と会うときにはチーズケーキを作って食べさせてあげている。そして、すごく頑張り屋さんで優しくて、でも自分の意見をはっきり言う人だ。

正直、この方には頭があがらないし、3週間くらい生活したのにも関わらず、たった数千円で生活させていただいた。

また、自分が死ぬ気で産んで育てた子ではないのに、わざわざ「おかしいことはおかしい」と言ってくれるだけありがたいと感じた。

「言われるうちが華」という言葉もあるが、これは本当にその通りなのではないかと思えてくる。

就職活動に対する考え方

就職活動のプロセスは、1社1社が割と手間がかかり、面倒くさく感じられたので、「どれだけ少なくても本当にビビッときた会社にしかエントリーしない」、「この会社(社長)が持っている考えについていきたいと思えるか」というスタンスを持っていた。

そして、ベンチャー、中小、大手など関係なく、また場所も全国で見ていたのでキリがなく、知らない会社の方が多いのに訳も分からず予約しまくり、約60社の会社説明会を聞いては、「どこの会社も同じに見えるなぁ、モヤモヤ」という気持ちを抱えていた。

これも、「説明会マニアかww」というツッコミを入れたくなるが、今思い返すと、説明会という予定を入れないと不安になるくらい将来のことで焦っていたのだと思う。(焦って良いことなんてないのに)

また、就職以外の選択肢や生き方なんていくらでもあるのに、それを考える余裕すら持てていなかった。

不純すぎる動機で就職への道を考え始めていた。

とりあえず生きていきたい場所と人は決まった

~一人の占い師さんとの出会い~


今は住む場所を自由に選ぶことが出来る時代で、将来どこに住むのかを考えるうえでは、結婚も育児もしていない独身である今が一番自由なのではないかと考えた。

そして、就職活動があまり意味があることと思えず、社会人の赤ちゃんである学生に対して、強みとか弱みとか働くのに関係がなさげな項目ばかり聞いてくることなど私にはあまり理解が出来なかった。

そして、とりあえず占いに行き、(詳細は以下参照)

「自分が住みたいと思っている場所は今住んでいる滋賀県で、人生で一番大切なのは相棒」

という誰かに言って欲しかったことを、言われて安心していた。

この占い師さんに出会ったことで、それまで抱えていたモヤモヤがだいぶすっきりした。この占い師さんとの出会いも自分にとって大切で特別なものだったと感じる。


一番大切なのは命~宮城・福島での経験~

そこから3月初旬に、東日本大震災で家族を亡くされた方のお話しを聞いたり、この目で3.11で時が止まっている風景を見た。

この経験は、今までの人生で見たどんな風景よりも、町全体が2011年で時が止まっており、言葉が出ないくらい衝撃的で言葉が出ない光景だった。

宮城県女川町での、当時25歳の健太さんを亡くされた夫妻のお話の詳細は以下こちら。


今までの自分にバカタレと言いたい

この光景を見てからというもの、これまでの自分は命がある前提で生きていたことに気が付き、

「生きているだけで幸せなんだ」

とこの言葉を何回も聞いたことがある気はするが、初めて自分の言葉として感じた気がした。


「お前は、生きていることが当たり前だと思っているから、行きたい大学に行けそうにない時に、そのことで人生が終わったとか言えるんだ」

これは、3年前の大学受験生の時、センター試験の4日前まで精神科に通うくらい受験に蝕まれ、毎日勝手に涙が流れ、親に迷惑をかけまくり、生きている心地がせず、ご飯の味も感じず、誰と会話してもほぼ全員の言葉に勝手に落ち込み、

自分の偏差値が68~70から入試直前の1月の時点で25~30になってしまい、

ちゃんと味方はいるのにそのことに気が付かず、「誰も自分の味方じゃない」などと思い込み、

何もかも絶望していた時に父親から言われた言葉だ。


この言葉を聞いた当時は、「私は毎日死にたいくらいしんどいのに、何でこんなこと言われなきゃいけないんだ」

とか自分本位で勝手な感情を抱いていた。

これは、震災の光景を見たことはおろか、お葬式にも出たことがない、災害にあったことがない、誰かが死の危機に瀕する場面に直面したことがない、

あったとしても本心で命が大切だと分かっていないから言える言葉なんだと、

3年前の自分や半年前の自分に声を掛けることが出来るとしたら、

「何て幼稚なんだ、自分が幸せだという事を思い知れ、バカたれ 」


と言いたくなった。


しかし、今の自分は、沢山の人と話して出会う楽しさを知ったり、空が青いこと、散歩が出来たこと、100円のコロッケを食べて幸せを感じることが出来る人間なので、以前よりはマシな人間になれたのかもしれない。

~後編に続く~



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