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邂逅


僕には宝物があり、それをずっと大切にしています。

1つ目は12年前、福岡を出る際に友達から貰ったショルダーバッグ。
リーマンショック→東日本大震災と日本が揺れていた時に故郷を旅立つのは怖く、東京という街に気圧されそうになる度、僕はそのバッグを支えに生きてきました。

2つ目は歌。
これは中学生の時に、僕が生まれて初めて家族以外の人からもらった誕生日プレゼントで、「一人の時」「苦しい時」「悲しい時」その歌に支えてもらってきました。

2つの宝、共に思い入れがあり、歌は毎日一回は歌ってるしバッグは外出の際、必ず身に着けています。

そして、先日また1つ宝物が増えました。

今日はその時のお話し。





「1日目」



11月の初め、僕が毎年欠かさず行っているあるイベントが東京で催され、今年もそのイベントに行きました。
そしてなんと、そのイベントに僕の元親友が居るとの情報が。

ネタバレになりますが、当初の僕は会う気は無く無難にイベントを消化するつもりでした。
「会う気が無い」というよりは「会うのが怖かった」という表現の方が正しいかもしれません。
無作為に会いに行っても親友は嫌がるだろうし、何よりその邂逅で親友から拒絶されたら、それで終わりになってしまう事が怖かったんです。

と、いう訳で。全2日のそのイベント、初日は1人で親友が居ないエリアを回り終了。
2日目は友達と朝から親友エリアの近くを周る約束をしていましたが、親友へ会いに行くのでは無く、無難に終わろうと思っていたのですが…。



「2日目」



そして2日目。
事前に友達に「実は、昔喧嘩別れした友達が、このイベント会場に居て…」的な話をしていたので、友達も気を使ってくれていて朝から別のエリアを回っていました。

ですが、(別行動で)友達が親友エリアを周っていた時になんと…
友達が偶然親友と出会っていたんですね。

そのイベントでは名刺やチラシなどが沢山貰えるので、友と合流した後に見せ合いっこをしていた時、友達が見せてくれたカードの中に親友の名前がありました。

3年ぶりに見るその名刺は温かく。
彼女の優しさが溢れてくるような気がしました。

僕はもうどうしようもなく、堪らなくなり
うつむいていたら

友達が「元気出しな。最後にもう一回行ってくるから待ってて。」と親友のところに行ってしまいました。



僕は遠くから彼等を見つめていて

どうしようも出来ず

人混みの中で

3年ぶりの親友の笑顔を見た時

多分、もう限界だったのでしょう

僕は、彼女に向かって歩き始めていました。






「邂逅」




(あぁ…。この感じだ)

久しぶりに見た彼女は3年前から変わらず、優しそうで、人懐こい笑顔を友達に向けていました。

僕はその笑顔が好きでした。
どんな時でも優しく、心の底から人を安心させる、その笑顔が。

…しかし、それも僕が彼女に話しかけた瞬間に消える事に。


覚悟はしていました。
決して彼女が僕を許す事は無いだろう、と。

しかし、彼女の反応を見たとき、改めて僕は自分が犯した過ちを悔いる事になります。

僕が現れた後、親友の笑顔は消え失せ

「お願いだから、私の前から早く消えて」
そんな視線だけが僕に注がれます。

突きつけられる現実、初めて見る親友の表情
嫌悪でもなく、憎悪でもなく、諦めでもない
。ただ、ひたすらに無垢な拒絶の表情。

その目に射抜かれ、焦り、動揺し、僕は何を言っていいか分からなくなってしまいました

鼓動が早くなり、吐き気に襲われ、沸々と後悔の念に駆られ始めます




どうして

どうして…俺はいつもこうなんだ!

どうして、彼女に話しかけてしまったんだ…!!

分かっていたのに

こうなる事は分かっていたのに!!

なのに、なぜ…



しかし、そんな後悔をしても遅く。
現実は無情で、冷めた彼女の瞳を見る事が怖くなり、僕は狼狽えてしまいました。

(もしかしたら仲直り出来るかもしれない…)そんな僕の愚かな期待は粉々に砕け、僕は逃げるように彼女の前から立ち去りました。

彼女の元を去った後、徐々に冷静になり、彼女の言葉やその場で起きた事を反芻します。
結果は言わずもがな。最悪です。

…本当はちゃんと謝りたかった。
でも、本番になると頭が真っ白になって何も言えず、僕の軽薄な行動は悪戯に彼女を傷つけてしまい、3年ぶりの邂逅は散々な結果で幕を下ろしました。





この日、僕は
誰よりも何よりも大切だった親友を無くしたんです





【宝物】



辛いとき、悲しいとき、苦しいとき。
僕はギターを弾きに河原に来ます。

3年前は全く弾けなかったギターも、現在ではボチボチ。
夕日に当てられながら演奏するのは楽しく。今回のように軽い鬱になった時、楽器は僕を癒やしてくれます。

今、僕は悲しくて何もする気が起きないです。
しかし、いつかそのことを忘れ、僕はまた笑顔を取り戻します。
それが、また悲しくて。
いっその事、一生このまま苦しめればどんなに幸せだろうか

この痛みを忘れず、生きていいければどんなに幸せだろうか、何て思ってしまいます。

「悲しい事なんてない方がいい。でも、そのおかげで今はこうしていられるんだよ」

一度大切な者を失ったから
その時に後悔したから
だから、君は今誰も失わずに生きていけるんだよ

そんな言葉を思い出して、僕はこう思うんです。




うるさい

んな事分かってる!!!

いらねぇよ!!全部!!!

全部いらないよ!!!

だから、
だから…

全部いらないから

もう一度、親友の笑顔を見せてくれよ

頼むよ

神様






そう、思ってしまうんです。

気づけば辺りは真っ暗。
溜まっていた感情は嗚咽とも咆哮ともとれる雑音と共に、少しだけ風に溶けたようでした。

僕には大切な宝物が3つあります。

1つ目の宝物は僕に「勇気」を与えてくれます。僕は街に気圧されそうになったとき、その宝物を握りしめます。

2つ目の宝物は僕に「癒やし」を与えてくれます。僕は辛いとき、悲しいときに、その宝物を歌います。

…そして、3つ目の宝物は僕に「痛み」を思い出させてくれます。僕は毎日その宝物に触れ「もう、俺は何も失わない」と誓います。

僕は、彼女が描く鳥が好きでした。
しかし最後まで、その事は言えなかった。

…大丈夫。

「この宝物があれば、僕は正しく生きていけるさ。」
そう言い聞かせ、僕は帰路に着きました。





【バイバイの後の後】




はい。
と、いう訳で1年半前から続いた当ブログの結果は「TRUEエンド&BADエンド混合」という事になりました。

で、これから当ブログで書くことが無くなってしまうんですけど、更新頻度が落ちたとしてもこのブログは続けていこうと思ってます。
なぜなら、何処かしらでアウトプットする機会があると、己の指針や感情を整理する時のモチベーションが上がるからです。

そして、備忘録があれば数年後に読み返して「あぁ…こんな事もあったなぁ。」と、喪失当初の痛みを思い出せますしね。
…そう、痛みは忘れてはいけない。
自分の過ちと向き合う事は苦しいですが、絶対に無かった事にしてはいけない。
この痛みが「人を大切にする」行動に繋がるのだから。




【反省】



僕は喪失の経験が人より遥かに多いです。
そして喪失の経験が多いという事は「仲直り」の経験も豊富な訳で、最後に「仲直り」や「喪失回避」の為に大切だと思うTipsを幾つか挙げれたらな、と思います。


【1・自分を大切に思ってくれる人を大切にする】



コレ、生きていく上でめちゃくちゃ大事な事なのですが、気付いたのは親友Bを3年前に無くした時だったんですよね…(汗)

人は不思議と、自分を満たしてくれる人より、自分を満たしてくれない人に矢印を向けがちなのですが、前者と後者では喪失時の痛みが全く違います!!!

(恥ずかしい話ですが)3年前親友Bを失った時、凄まじいダメージを受けましたが、どんなに好きだった人でも「自分を大切に思ってない人」を失った時、そんなにダメージ無かったんですね。

つまり!!!

家族は大切にしないと後悔するかも!!
って事です(笑)

だって、世界中の誰よりも自分の事を大切に思ってくれている人は家族ですからね。
失って気付く前に、行動出来たら素敵だなって思ってます。



【2・どんなに激しい喧嘩をしても連絡手段だけは死守する】


コレ、テクニカルな部分だけどマジで大事だと思います。
渦中に居る時は、お互い感情的になってブロック&連絡先消去合戦しがちですけど、連絡手段があるのと無いのとでは仲直り出来る確率が全然違うと思いました。

実際、親友Aとの仲直りに成功出来た、大きな要因の一つは連絡手段を残せていたからでした。
やはり文字だと落ち着いて謝罪の言葉を書けますし、相手を驚かせる心配もありません。

ぶっつけ本番で会いに行っても、緊張で頭の中が真っ白になって訳分かんない事言って終了でしたしね。
と、言いますか!この広い日本。デバイス無しで再会なんて無理です。通信手段必須です。

熱くなった時ほど、冷静になれるように出来たら素敵だな、って思いました。

【まとめ】

まぁ、それでも彼&彼女は僕のかけがえの無い親友です。結果がどうあれ、この事実は何が起きても消えません。

そして間違えなく、彼女は僕が出会った女性の中で一番性格が良い子で、だからこそ、僕は彼女に対し絶大な信頼を寄せていました。
だから、その思い出を忘れないように僕は毎日彼等に感謝して生きて行きます。

生きていく力が無くなる、その日まで。




さて!
長々と書きましたが、もう終わりです。

本格的な冬到来で、このままあっという間に年末年始になるのでしょうね。

では、また100年後の荒野で会いましょう!!

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。




































夜、イベントから帰宅し、走りながら頭の中を整理したかったので、僕は多摩川の土手に向かいました。

その後、10分、20分、と走っていると汗と共にジクジクと痛みが生まれて来ました。


「初めて見た、冷めきった彼女の瞳。」
「凍りついた空気。」
「焦り、動揺し、どうしたらいいか分からなくなってしまった自分。」



その憧憬を思い出す度、ジクリ、ジクリと胸が痛み…

(もう何もかも忘れたい。)
そんな事を考えながら一心不乱に走ります。

一時間程経過し、限界が来て河川敷のベンチに倒れ込み、空を見上げるとどんより曇り空が…
天候にすら嫌われ、うんざりしつつ、ボンヤリと空を眺めながら「今回、どうしたら良かったのか」について考えてみます






(…無いな。これが最善手だった。)



結論はそれでした。

痛みはあるが「後悔」は無い、ならば僕は満足だ。そう考えたんです。

思うに、痛みと後悔は綱引きのようなもので、痛みを避けて安全策を採ると後悔が生まれ、後悔を避け一か八かの賭けに出ると痛みを伴うはずです。

そして、今回…
と、言いますか毎回僕は後悔したくないので一か八かの賭けに出て来ました。
おかげ様で傷だらけ&黒歴史だらけの人生ですが。

そんな人生に、悔いなどあるはずもなく。



(天晴だ!)



心の中で叫び、踵を返し土手を疾走します。
3つ目の宝物を握りしめながら。


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