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【真ん中はない】
右の世界(自分軸・ナチュラル)
左の世界(他人軸・恐れベース)
と分けてますがどちらが良い悪いはありません。
そもそもどちらで生きるか
どちらにいる自分が好きかは選べます。
でも、それを切り分けられる痛みから
『その真ん中はないんですか?』
と聞かれることがあります。
《本音か、本音じゃないか》
《自分のピュアな好きか、そうじゃないか》
しかないですから
“真ん中”はないです。
これは
“そこまでやらないといけないの?”
って恐れや勇気の欠如からくる発想です。
それを受け入れたくない感覚こそが
その人の自由を縛ってる大素なんです。
つまり個性を発揮できてない理由。
そもそも
どっちか選べ
なんて半か丁か、白か黒かの話じゃないんです。
なのに強迫感からまるで選ばされてる感覚になっててすり替えちゃう。
その時点でズレてます。
で、『自分にとってのナチュラルな世界』って
都合いい概念作り出して不ありきの道で体裁よく生き残ろうとする。
そのバイアスに自分を濁してる大素があるから、超チャンスなんだよ。
ここ、踏ん張るところよ!
右に生きる勇気がない、
でも左を選択してるってことも認めたくない、
だから不にとって都合いい考えが生まれる。
ジャッジする人・恐れる人は
=左を選ぶ自分責める人・右行きたいけどその世界を受け入れられない人
免罪符欲しさに
『私にとっての右の世界を生きる』
みたいな言葉を言いがちだけど
ピュアか、ピュアじゃないか
しかないです。超シンプルです。
それを受け入れられないほど迷いや葛藤がでてるのはなぜだろう。
真ん中があると頑なに信じたいのはなぜだろう。
ここにその人の不(恐れ)が浮き彫りなってます。
その不を受け入れた先に見える景色がある。
その景色こそがあなたにとってのかけがえ無い《真ん中》なんです。
【関連動画】
第354話 自分を愛して生きる覚悟はあるのか?
https://youtu.be/wv8vzYYRjDo