五島 by 篠崎滋

 「篠崎滋」なんてペンネームをつけたものの、「濱﨑遼」を隠す必要性なんてない。しかし、今回の五島の旅で、「りょう」っぽくない。「しげる」だよねという会話から、架空の人物名を考えるのが好きな私はいろいろとその会話以降のふとした時に脳内を捏ねくり回して、クープと妻がソファーで爆睡している姿を見つつ、我がコックピット、ダイニングテーブルに座って、このnoteを立ち上げ、キーボードを打ち始めた。そこで出てきた最初の「しげる」は「後藤繁」だったわけだが、これではわたしっぽくない。「しげる」の漢字を少し読みにくいものにしようかと、変換させて探す。「後藤棥」うーん。違う。「しげる」が強すぎるし、読みにくい漢字は少し気取った感じがする。私が好きなのは、皆に対して開かれているけれど、譲れないものがしっかりある喫茶店なのだから、「後藤棥」では気取ったフリーランスにもなれないチャランポランな人という最悪(と書いてクソと読む。最悪という漢字にクソと言うのは失礼じゃないか?じゃあ、クソという言葉はそんなに悪いやつなのか?)な感じがする。そこでまた脳内を捏ねくり回す。人よりも早く消えていく記憶を逃すまいと必死で追いかける。「記憶力がいい人が頭がいいのだ。勉強できるとかじゃない。記憶力。地頭がいいんだよ」と地頭がいい親戚のおじさんが言ってた言葉が横からお邪魔してきた。そうなると、私は記憶力が皆無だから地頭が悪いということになる。改めてまた落ち込む。頭がいい人でありたかった…。そんなことを考えてると記憶は先に行っている。もう追いつけないかもしれない。諦めかけた瞬間に、妻が起き上がり、クープも起きた。その時、住む街3本の指に入る治安の悪さという、言葉が飛び出したことを思い出した。私は記憶に追いついた。「篠崎」うん。悪くない。五島の事を書くペンネームが「後藤」はやっぱりねぇ。と今更。記憶に追いついたからか、「しげるは松崎しげる」というタイムリーな言葉も思い出した。最近、クープのフードを変えてみたところ、松崎しげるさんもびっくりな黒々したプン(う○ち)が出てくるようになった。「この黒さは松崎しげるだ」「今日も安定の美しき人生よ」「しげるだねぇ〜」なんてプンの度に、妻に言っていた。妻の返答は、精神的苦痛を味わう無視という行為。あ、一回だけ「愛のメモリー」のサビを歌っていた。
松崎しげるは松崎滋だとなぜか思った私はキーボードを使い、打ち込む。

「篠崎滋」

完璧ではないか。

 



 ※五島の旅行記をペンネーム「篠崎滋」で書こうと思っていたのだけど、なぜか命名の過程を追う文章になってしまった。気を取り直して書こうかと思ったけれど、

クープが邪魔してくる

 このままでは埒があかない。ずっとこの調子で書き続けていったら終わらなくなってしまう。そろそろ、終わらせなくちゃいけない。

思い出のBGM 2曲

今更だけれど、Sさん、mさん mちゃん mちゃん
本当にありがとうございました!

今年も行けたらいいな。五島。

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