見出し画像

【読書まとめ】他者と働く (後編)

前半では、『対話』の役割/機能を刷新できる概念について、本書での定義を述べた。後半のまとめでは、その対話をいかに実践していくか?そのプロセスについてまとめてみたい。

概要

対話によって適応課題を解く(相手との溝に橋をかける)ためには、①準備→②観察→③解釈→④介入 4つの段階があると述べられている。特に①の準備段階において、いかに自分の解釈や意味づけから離れられるかが重要である。そして①~④で一つのサイクルとすると、フィードバックを与えて、さらに繰り返しそのサイクルを回すことが求められる。

詳細

各プロセスは以下のように説明されている。

①準備「溝に気づく」:相手と自分のナラティブに溝(適応課題)があることに気づく      ②観察「溝の向こうを眺める」:相手の言動や状況を見聞きし、溝の位置や相手のナラディブを探る。  ③解釈「溝を渡り、橋を設計する」:溝を飛び越えて、橋が架けられそうな場所をや架け方を探る。  ④介入「溝に橋を架ける」:実際に行動することで、橋(新しい関係性)を築く                 

以下、それぞれ詳細に説明してみたい。

①準備「溝に気づく」

自分のナラディブ(考え方、意味づけ)を脇に置き、相手との溝に気づき始めることが重要である。気づく、それ自体が新しい関係性を築く始まりの一歩である。特に、相手との溝(適応課題)とは気づきづらく、認めづらいことが多いので、しっかりと向き合うことが何より重要である。つまり、自分はこれまで、自分の考えに疑うことなく生きてきたけれど、もしかしたら、相手には違う世界/事情があるかもしれない、と想像することが重要である。私のことを罵る上司も、もしかしたら、自分の成長のために怒鳴っているのかもしれない。

②観察「溝の向こうを眺める」

どうやら、自分と相手との間に溝があることに気づいたら、次は、じっくり相手や相手の周囲を観察する段階です。相手との間に溝(適応課題)があるのは、必ず理由がある。相手がなぜそのように思っているのかを考えたり、周囲の協力者から情報を取ってくることも時には必要である。観察がうまくいっている場合には、様々な発見があり、その発見が次の解釈の段階で必要になってくる。上司について「観察」しても新しい発見がなく、嫌な所ばかり目立つという場合には、もしかしたら、自分のナラティブから離れられていない可能性が高い。

③解釈「溝を渡り、橋を設計する」

解釈の段階では、一度、相手のナラティブ(考え方・立場)から自分を眺めることが必要である。相手には自分の言動がどう見えていたのかを、相手の立場で理解できれば、自ずと解決策の糸口が見つけられる、具体的には、相手のナラティブにおいても意味のあるようにするにはどうすればよいか?という建設的な考えをすることである。この作業は信頼のおける仲間と一緒にやるのが効果的だが、少なくとも紙に書き出して、客観的に観察することが重要である。上司が新しい提案を受け入れてくれないのは、上司のナラティブから見た自分の提案があまりに稚拙に見えるからではないだろうか?上司のナラティブにおいても意味のあるように説明するには、どうすればよいか?

④介入「溝に橋を架ける」

実際に行動を起こし、溝に橋を架ける(新しい関係性を構築する)ことが介入の段階である。さらに、実際に行動した後には、その効果をしっかりと確認して、うまくいっていない場合には、また①、②、③のプロセスに戻るといった繰り返しの作業が必要となってくる。このように介入というアクションでは、新しい発見が得られる次のスタート位置ととれるのである。このサイクルを繰り返すことで、徐々に自分と相手との関係性は変化し、「私とあなた」という関係性へと移行することができるはずである。

まとめ

対話とは、①準備→②観察→③解釈→④介入のプロセスを繰り返すことで、相手との新しい関係性「私とそれ」→「私とあなた」を築くために必要な方法である。この対話のプロセスを繰り返し行うための第一歩は『①準備』であり、相手との溝に気づくこと、自分のナラティブを受け入れることである。自分と相手とは、別の世界を生きている、しかし相手と伴に生きていく必要がある。ご存じの通り相手との「溝を埋める」ことはほぼ不可能に近いし、それはこれからの多様性の高い時代にマッチしていない。しかし「溝に橋をかける」ことは対話によって可能であり、今後は橋を架けられる能力や場の設計が必要となってくるだろう。オンラインミーティングの実践を通じて、これら対話の効果について継続して試行錯誤してみたい。

あとがき

私は、いわゆる化学系の大企業(と世間様から言われる)に勤め、日々同僚と上司や組織の悪口を言っては、酒を飲む毎日だった。しかし、本書の以下の文面を見て、はっとさせられた

大企業病なのは、実は提案を妥協した側も同じであり、そこに加担していることに気づく必要がある

溝に橋をかける作業とは、こちらだけの正論を押し付けるのではなく、両者にとっての正論を作っていく作業である。ここで重要なのは、その正論は当初自分が思い描いたものを矮小化や一部を取り除いた『妥協した案』とは異なるということである。いつの間にか、自分たちは、大企業病であることを、今の経営者側のせいにし、自らは「弱い立場であることを正当化」することで逃げてきたのではないだろうか?橋を架けるのはあちら側の責任で、私は受動的な立場でよいというナラティブに陥っていないだろうか?いずれにしろ、組織と自分との間にも新しい橋を架ける時期が来たのかもしれない。




②観察「溝の向こうを眺める」:相手の言動や状況を見聞きし、溝の位置や相手のナラディブを探る。






いいなと思ったら応援しよう!