国家の品格_後編
背景
前編では、論理的に考えてても、人間社会の問題を解決できないのか?について、筆者の主張を紹介しました。
後編では、では、これからどうすべきか?について触れていきましょう。
情緒を感じる
筆者の主張では、論理的思考は、これまでの歴史が示すように確かに重要である、しかし世界の現状と論理の限界性を鑑みれば、論理だけではこの先世界が破綻してしまう。
ではどうすべきなのか?出発点を見誤らないために、何をアドオンすべきなのか?筆者は、日本古来の『情緒』が重要だと述べます。以下、その理由を代表的な4点を抜き出して、説明します。
①普遍的価値の理解ができる:情緒を理解するということは、普遍的価値を理解することに繋がる。短期的な経済の成長を追い求めても、他社からの尊敬は得られない。今、我々日本が尊敬されているのだとすれば、経済大国である、という状態ではなく、京都を代表とする日本の文化、その根底にある情緒(もののあはれ、自然への畏敬の念等)であることを忘れてはならない
②文化と学問の創造に貢献する:創造には、独創性が必要であることは否定のしようがない。この独創性を育むのが、情緒であると主張する。特に、有名な数学者の岡潔は、数学の独創性のために、芭蕉の俳句を研究したといわれている。
③人間の総合力が上がる:人間社会に万人の認める定理はない、よって、その出発点を決めることが、論理的思考を展開することに加えて、これから重要になってくる。社会における論理は、いずれも一理あるものばかりであり、どれを選択するかを決めるためにも、情緒を知り、人間の器を広げることが重要なのである。
④人間中心主義を抑制する:古来より日本人は、自然に畏敬の念を持っており、人間の存在への謙虚さを持っていた。そのタガが外れているのが現在の人間中心主義であり、昨今の地球環境へのダメージであるといえる。情緒は、これらを抑制する謙虚な心を育むことができる。
情緒を鍛えるには?
どうすれば鍛えられるのか?
以上今後の人間社会には、論理的思考に加えて、情緒を知ることが重要であると説く。では、どうすれば、情緒なるものをを鍛えられるのか?それを考える上で、同様の考えを提示している、世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?にも注目してみたい。
著者の山口さんは、同様に論理的思考の限界について述べており、今後は美意識、より具体的には、『真・善・美』の基準を外部にゆだねるのではなく、それらを自分の中の基準として持つことが重要であると説く。そのために必要な以下の方法を紹介している。
①絵画を見る:我々は、経験からパターン認識を形成することで、日々の観察のエネルギーの省力化を行っている。しかし、それゆえ、純粋に観察するということが苦手になり、対象の変化を感じる/生み出す能力が低下してしまっている。絵画を見ることは、そのパターン認識を取り外すトレーニングになりえる。
②哲学に親しむ:彼らがその思考に至った過程および当時の社会背景を知ることで、無批判的にシステムを受け入れることがなくなる。さらに、現在のシステムよりもより最適なシステムに対する考察できる力を得ることができる。
③文学を読む:『真・善・美』を追求してきたのは、宗教および哲学であるが、文学では、その問いを物語の体裁を用いて考察したものである。上述した筆者も読書の重要性を指摘しており、名作を読むことに重きをおいていた。
所感
昨日、IPCCから『人間の影響が温暖化させてきたことは疑う余地がない』と人間への最終通告があった。これは、産業革命以降の論理的思考の積み重ねが、現在の深刻な世界の到来を推し進めた、と言わざるを得ない。これらはまさに、情緒や美意識が足りないための結果である、と考えると納得感がある。近年、機械学習が様々な分野を侵食して、さらに論理的思考の領域が広がってきている。しかし、上記議論を忘れてはならない。これからの世界では、従来の論理的思考に加えて、情緒や美意識の視点を用いることが、循環可能な社会の実現を達成するものだと信じている。