〇〇は一朝一夕にしてならず

〇〇には結構何でも当て嵌まる。

人生は短いようで中々に色々なことが起こるから、そこで何をどう積み重ねてきているか?いくのか?というパターンだってほぼ無限にいろんな可能性がある。

だからといって私は別に希望云々について語ろうとは思わない。

どちらかというと逆。

ペシミストと揶揄されようとも。

いろんなパターンがあり得るんだからって、ポジティヴに向かわせようなんてのははっきりいって短絡的過ぎる。

いろんなパターンがあり得るというなら、よくてネガポジ半々ぐらいのもんだろう。

私がこの21世紀の現在においてキライなタイプというのはほぼ上述の短絡的な人間だ。

短絡的ということばが既に示しているとおり、このての人間は積み重ねというものにおいて大したことがない。というかほぼ何も積み重ねちゃいない。

例えば40歳なら、積み重ねといったってせいぜい5~10年ぐらいのもんでも、むっちゃ積み重ねたとか自負したがる。モノゴトの流れの速い今日この頃だと、数か月も努力してなくたって立派な努力家であり得る。数字を示せば一発でしょ!?

残りの30~35年(40年?)のことは?

人間の常として全く記憶に残っていない。

記憶に残っていないことを悪いことだとは全く思わない。

記憶に残っていない可能性が十分に高いにも拘らず、そのことに全く注意が向かないというのは大問題だ。

たとえ一時(いっとき)血の滲むような努力をしたんだとしても、そういう幸せな境遇にまで導いてくれた様々なこと。全部漏らさず憶えていると断言できますか?

分からない人が多いので繰り返しておくけれど、努力できるなんてのはとってもラッキーでハッピーなことなのね。

であるからして、どんなきっかけなのかは様々ではあろうけれども、そういうきっかけが現れ出る経緯の一切合切とは言わないまでも、そのきっかけなるものが一体何だったのか?ぐらいは憶えておいてその訪れにはいくら感謝してもし足りないぐらい。

そういうもんなのさ。

21世紀の努力家たちは感謝よりも何を成し得たか自慢の方に忙しい。

それこそが短絡の証明なのだけれど、個々の努力家たちの属性どーのこーのなんてことよりも、もっともっとおっきな問題について私は語っておきたい。

忘れることは別に悪くはないと言った。

忘れて当然なんだからそういうもんだということは踏まえましょう。

そうも言った。

なんでか?

若い世代を負の連鎖に巻き込んでしまうから。

私のような中年が、自分の幼い頃のことを逐一記憶しているなんてことはまずない。憶えていたとしても何らかの事情によりとっても印象に残ったごく一部でしかない、ということがほとんどだ。証明はできないけれどね。まあそういう感じでとらえておくのが無難。

幼い頃はそうかもしれないけれど、小中学生の頃の記憶ぐらいなら。。。なぁんて応戦したい人もいるだろうけれど、そもそもの話が「忘れちゃう」ってことだから。。。

どの時期にしたってコンピュータのメモリのように致命的傷害でも受けない限りは克明にデータが一切変化することもなく保持されているなんてことは私たち人間の記憶というプロセスでは起こらない。よしんばデータがどっかに保持されていたとしても、それを現実に実際に起こった通りのカタチで呼び戻せる保証なんてどこにもないし、呼び戻せたと証明し切ることも純粋科学的には不可能だろう(各種パワーを利用すれば可能だけどね)。

私たち人間の世の中は歴史的に見ても年上の方が有利だ。

長生きしている方が経験も豊富だし、とりわけ世の中が動いている仕組みに詳しく、実際にそういう仕組みをどう活用するかを知っているってのがデカい。対子どもならなりもデカいし力も強いしね。

ぐうの音も出ないように、、、なんて状態だって余裕で作り出せる。

しかし、、、

これから育っていってもらわなければならない者たちに向かって自らの凄さを見せつけなければならないというのはどういう場合なのだろうか?

社会秩序維持のため???

単に厳しさ諸々を教え、耐える力を養うとか???

いろんな説明はできると思うけれど、何を根拠に???

概ね子どもの頃の記憶なんてはっきりしないわけだから、「俺らもそうやって育てられた」ってのはおかしな話だ。憶えてないんだから。。。

もしも憶えているとしたら、多分やんない。

だってむーっちゃ理不尽な記憶が残っててむーっちゃいややし。

そんなんガキに「おれもそうやってん」とか言ってできるか???

本当に憶えてたら身がすくんで立場が逆になったとてできないもんやろ。

それができてしまうってことはつまり憶えてないってことや。少なくともちゃんとは。

じゃあ放っておいても年上有利な状態の使い方。とんでもなく間違ってやしないか???世代を超えて。

だぁれも本当は憶えてないのに「おれらもそうやってん」っておとぎ話(ウソ)をずぅーーーーーっと繰り返して、、、若い世代の自尊心を傷めつけるというか、そういうものが育たないように育たないように、、、或いは、自分の頭で考えようとしないようにしないように、、、そういう技術を世代間で受け継いでいるように見える。しかもほぼ無意識無批判に。

年上が有利である状態ってのは覆し難い。

それだけにそういう印象は強く残る。老若男女問わず誰の頭にも。

単にそのイメージだけで、その流れに沿って、年齢を重ねていって、特段の問題意識も持たずに行動し続けている。

積み重ねた何かってほんまにあんのか???って話。

ないよね。。。実質。何も。。。

忘れちゃってるものはどうしようもない。

けれど、忘れちゃってるんだな、ということぐらいは理解できるんじゃないのか?

それができないのは何故なんだろう???

子どもの気持ちなんて分かるわけないよ。少なくとも自分の記憶を参照して、、、ってのは不可能。とても参照に堪えうるような代物ではないってぐらいいい加減なものなのだから。

ちょっとした記憶の欠片を利用して、「自分はこうだった。故にこの子はこうにちがいない。」なぁんてことにしてそれに全く気付かない人間が、一体何をどう積み重ねてきたと言えるのだろう?

そういう決め付けめいたことにイラッとする気持ち。ないのかね???

なぁんにも積み重ねなんてないじゃないのさ。

地道に積み重ねていきたいと心から願うなら、努力自慢やそれによる成果自慢なんてしてる暇はないよ。

記憶だけじゃなく、私たちの感覚やら思考やらいうものが、いかにいい加減なもんであるかをまずは思い知る。であるからこそどんな手段を使ってもいいからちゃんとできるところはちゃんとしたいと願い祈る。

何かを着実に積み重ねるとか、自分の頭で考えるとか、引き続く世代により確かなものを残したいと願うって、私はそういうことだと思っている。

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