お金を巡るいろんな解釈
もはやお金を巡る解釈において、「何が正しい」とか「悪い」とか、、「フェアか?」なんてのは議論するだけ無駄であるということ。
誰がお金について様々考えたり感じたりすることを止めさせたり、制御したりできるだろうか?
「お金」=「糊口の資」と話す人々はどちらかというと”強者”況や「チェンジの資本」と話す人々をや
人間はご飯は必須だけど、「食うために」は生きていない。
というか、、、。「生きる」とか「生きている」とか思ったり言ったりしている時点で色々もがいているということだ。何に?
生きる理由とか目的
ポイントは、この世に生を受け(てしまっ)た以上、誰しもが「理由」であるとか「目的」とかについて、はっきり定義しようとはしないまでも、誰かから問われたり、誰かの言説を耳にしたりして、様々感じたりしてしまう、という点。
「知らんがな」
様々な文脈で使われるようであるが、この言葉はエートスであるとかペーソスであるとかを漂わせてほしい。ロゴスを語って捨て台詞的に使ってはもらいたくないと感じる。
繋がっていることについて、「別に関係ない」と様々な事実から検証し、理論化し、正当化する、ということができる、ということをもっと「正当に」評価してもらいたいものだ。
あまり生物学的根拠に頼りたくはないけれど、サイン使えている時点で、「繋がっている」。全員。例外なく。分けて区切ったりする能力は、そうやって繋がってもうてる存在が、まあまあ幸せに行けるために使ってほしい。例:何百万年も前の人類の祖先の化石がどこどこで見つけられる、とか、ごくごく一部の化石からだいたいの身長とか体格が推定できる、とか、、、地球がだいたい46億年前にできたらしい、、、とか、、、分かるってなんてステキなんでしょう!?