「バイバイ」
もう涙ボロボロのお話。
でも泣けなかった。
それは話してくれた人の属性のため。お話の内容を上回る懸念事項の方に私の注意が向けられたため。
割りと長い時間お話をした。
でもやっぱり気になった。
起きたことはもうどうしようもないのに。
お互い「じゃあどうすればよかったのか?」「どうすればいい?もう同じようなことが起こらないようにするためには?」に心を痛めていたことは間違いない。
取り返しのつかない事実とまだ来ていない未来をなるべく悲しくないものにすること。
区別することは難しい。
出来事が痛ましければ痛ましいほどそちらに心は引っ張られる。
でも起きることは起きる。
完全に撲滅することは難しい。
極論を言うと信じるしかない。
私自身信じることができるのか?と言われればかなり疑問の方が強い。でも。信じるしかないだろうと思う。
「そんなええもんちゃうよ。人間。」って言うのは容易い。実際ええもんではないのかもしれないし。
葛藤。
でも私も人間の一人。
決めつけることはできない。
悲しい出来事に心が痛むというのは至極自然だし、それ自体に何か問題があるわけではない。
ただ。「痛む」という事実を自分自身で過剰に評価していてはいけないと思う。
それは悲劇を自分のために消費することになるから。
微妙なところなんだけれども、心の強さ、というのはそんな微妙なあれこれに根気強く向き合うことでしか養われない。特効薬になるトレーニングメニューとか方程式はないのだ。
心の強さは何のためにある?
それがどんな人であろうとも人として見るため。
「対象(Objects)」ではないのです。
いわば「自分自身(Self)」なのです。
「我がこととして感ずる」。
難しいのです。
悲しい出来事に遭遇した人々の気持ちが分かるというだけではない。そもそも他人の気持ちが分かるなんてことは堂々とは言えないこと。ましてや、気持ちが分かるのではなくて、自分の心が痛んでいるという事実だけでは、他人の遭遇した悲劇を「我がこととして感じている」とは言えないのです。
信じるしかないのです。
そのためにも日々の一つ一つを丁寧に。
なるべくね。
雑になっちゃったら、そのことぐらいは憶えておく。
そうやって少しずつ少しずつ強くなっていくしかないのです。