それでいいよ

と言ってないわけではない。

なんだかんだと文句の多い私だけれど。

結構言ってる気もする。

子どもと接する時なんかはほぼそんな感じだ。

何かいけないことをして注意を促す時も、「自分で悪いことってのは分かってるんやろうし、まあなるべくやらんで済むように考えんさい」って感じのアプローチをする。

何がどう悪いか言い聞かせないと分かんないにちがいない、というようなアプローチは決してとらない。

段々と齢を重ねた人に対してはどうか?

うーん。

あんま「それでいい」とは言わないな。。。

なんでだろね?

その歳でまだその程度しか考えられないのか。。。っていう失望感がおっきすぎるからなのかも。。。

ちっちゃいころにわるさとかしておこられたことないんかもな?と思ったりもする。

わるさどころかもう周りの大人たちに何から何まで言い聞かされて、身動きとれなくて、もううるさいけー表面上言うこと聞いたことにするというクセが板に付きすぎてるのかもしれない。

負の連鎖を断ち切るというか、逆に正の連鎖に転じさせるためにも、おとなたちのほうがいっちょ肚括って「それでいいよ」アプローチで行くと決心した方がいいんじゃないか?

なんのかんのと細かく説明しなくたって、子どもらは案外悪いのか?良いのか?の感触ぐらいは持っているもんだ。その折角の感触をもとに、なんで何べんも同じことやっちゃうんだろう?とかね。一人一人が悩み考える暇をなるべく与えた方がいい。

おとなのパフォーマンスがどうとかははっきりいってどうでもいいこと。「子どもたちを守る」とか言って、子どもたちのことよりもいかに自分が子どもたちを守ろうとしているか?を証拠立てるのに腐心しているなんてナンセンスの極み。

世代交代とか大仰なこと考える暇があったら、いつまでたっても自分が正しく生きているかどうかが気になってしまう己のことをまずは思い知らなければなるまいね。そこんとこの気づきがないんじゃあ弱者も環境も救済の対象というよりただのくいもの餌食にしかすぎん。

だって守るためには自分も生きて行かなきゃならないから~~

ということで仕方ないと大多数のいい年こいた大人たちが思ってるなら大して明るい未来はないだろうね。。。

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