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テトリスのブロックは擦り減らない
懐かしいネタですね。
確かHey!Hey!Hey!でしたっけ。ダウンタウンの松ちゃんと宇多田ヒカルがテトリス対決をした時に松ちゃんが言って結構受けたヤツ。
人間のイマジネーションというのはおもしろいですね。テトリスを何十万回何百万回やったとしたって、ブロックが擦り減るはずはないと分かっていても、いや、分かっているからこそ笑ってしまう。
現代に暮らす私たちはかなりフィクションに汚染されている。現実という名のフィクション。私たちの多くは現実を生きていると信じて疑うことはほんとんどない。「現代」とか「かなり」とか言ったけれど、実はこの世に人間なるものが生まれてこの方、フィクションに汚染されていない人間なんていない。ゼロ。けれども現代のそれはちょっと哀しい。自分が生きているのは現実であるとほぼ盲目的に信じて疑っていない様が。
数学は自然現象を記述するのに長けている。けれどもサインを使っている以上自然現象そのものを表すことはできない。私たちの感覚は告げるのだ。ブロックは擦り減ると。
勿論TVゲームのブロックが擦り減ることなどない(擦り減るようにプログラミングされていれば別だけれど)。けれども私は「擦り減りそう」という私たちの感覚を大切にしたい側の人間だ。
理論(科学)であろうが応用(技術)であろうが私たち人間から分離されて私たち人間を支配するなんてことは起こり得ない。そのように想像するのは自由だけれど。科学技術は私たち人間一人一人の内側で、生まれて死んでいくまで蠢き続けているものから生まれているということをもっともっと沈着冷静に見つめ直してみるべきだ。
現実の世の中で無限繰り返し(Recursion)なる概念は起こり得ない。