山本道場の猫
毎度訳の分からない比喩(?)(例:魚突き、マッハ急ブレーキ、ロケット発射ボタン、関節一つ男などなど)が登場する山本道場ゴルフTVですが、猫は使えそうな気がしている。
これは比喩ではないけれど、山本道場で言われていたことで「ああ。多分そうやろうなあ。」と感じるのが、「球を打つ」という感覚。
ただ振ってそこに球があるんではなくて、「打つ」。
これがないと草の上で非常に困る。
ラウンド中のスイングでは、体のとあるパーツの動きについて気にはする。そのために練習するわけだし。
けれどもミスったとして、そのどこが間違っていたのか?を納得いくように理解するなんてことはラウンド中はほぼない。
ただミスったヘンな感覚に「おかしいなー」と思わされる。困る。悩む。次のスイングが不安になる。またミスる。練習してきたこと(主に体のとあるパーツの動かし方)が全く分からなくなる。。。という悪循環が待っている。
もちろん練習はウソをつかないので、上述のような最悪の悪循環を途中で断ち切ることもできないことはない。けれども数ホールはやっぱり引きずってしまうのが常。当然スコアにもそれが反映されてしまう。芝の上でのスコア作りという楽しみが奪われ、折角のラウンドがなんとも勿体ないことになってしまう。。。
「球を打つ」感覚が大事だなあと思うのは、ここに焦点を絞ると、「打って成功した」或いは「打とうとして失敗した」ということになるので、シンプル。芝の上ではシンプルさが大事。
なので練習の中でも「球を打つ感覚」に気を付けてやる。
膝の動かし方だの止め方だの、腰の切れ方だの、腕の上がり具合だのも練習であるからこそ色々と試し、確認できる。けれどもそれだけではなくて、「君はいかに打ちたいのか?」と問う。
当然思った方向へ強く打ちたい。
できれば力まずクラブヘッドだけがぴゅんっと走って欲しい。
「球を打つ」ことに絞ると私たちの欲求というのは案外シンプルだ。
まあそれが簡単にできないからアレコレ試行錯誤するんだけどさ。
そういう試行錯誤の中で山本道場ゴルフTVでまあまあ最近言われている猫って使えるんではないかなぁ。
アドレス、グリップ、始動。これらを確認後、なるべく手は使わないように足腰を使う。
足腰の動きは大して大きなものではないはずなんだけどもこれが中々安定しない。
そういう体のパーツへの意識で安定を求めるのは限界があるのではないか???特に細かい方の動き。
矛盾するようなんだけれども、猫。
これは手の感覚。
私の感覚だと、足腰の動きが適正でないと、猫が現れない。
猫が現れるということはちゃんと動けているということ(かな?)
猫が手に現れたら(猫手)、そいつでもって球をしばく。
より具体的にイメージを描くなら(山本ゴルフTV調に?)「球の右斜め後方から猫手でしばく」となる。感覚的には魚突きに近い。
山本道場ゴルフTVでは猫は左崖下のおじさんに投げつけるらしいが。。。ちょっとそれはイメージが湧かない。軽くではあるが「こういうこと?」とは思わないこともない。たまに。
まあ完全に無視するというわけではなく、「多分上達したら(しようと思ったら?)そんな感覚にもなるのかもな」ぐらいに頭にとどめておいて、しばらく私は私のイメージで「球を打つ感覚」というものをよりはっきり持てるよう、練習していこうと思っております。