受動的感覚或いは結果として訪れる現象の感じ方
意識と無意識というのは非常に厄介だ。
山本道場では”ネイティブスイング”と呼んでいるものがあるらしいのだけど、それもこれも目指すところは無意識なのかな?と思う。ただ、このゴルフ日記でも以前触れた通り、無意識を意識的に実現しなければならないというところからして大きな矛盾を孕んでいる。
そこで思ったのが、意識と無意識という区別は棄てた方がよくないか?ということ。
アドレスをとりますというところからして意識するし、きちんと下半身主導で動き始められているかをチェックするのだって意識だし、ゴルフスイングという動作をスタートさせ、フィニッシュさせる以上意識を失ってなんていられないだろう。
勿論高速で動くクラブヘッドがボールをとらえる瞬間をくっきりクリアに見届けるなんてのは土台無理というように、意識しようとしたところでできない部分はある。けれどもこの例にしたって、意識どうのこうのより、目でそのシーンをとらえられるかどうか?のお話。インパクトの瞬間の感覚は必ず手やその他の感覚器に残るだろうし、後付けとはいえ意識できないわけではない。そして自分がちゃんと振れていたかどうかの大事なチェックポイントでもある。
このように短いゴルフスイングの時間中、私たちの意識はかなりはっきりしているし、はっきりさせた方がいい。
インパクトの例で話したとおり、後付けでくる感覚というものがある。ゴルフスイングの場合、スイングというお仕事自体はわりかしさっさと終わってしまうので、インパクトに限らず私たちの意識はこうしてちょっと時間をおいて訪れる感覚に敏感になる、或いは、トレーニングによってそうした感覚が訪れるだろうことを予測できるようになった方がいいんじゃないだろうか?「できるだけ無意識に自然な動きができるように」という風に考えるよりも。
私は目下「手を上げ過ぎない」訓練中なのだけど、その中で「はじめっからそうしようと目指すのではなく、いろいろ動かした中で結果として訪れる現象」について一つ注目しているものがある。それはバックスイングのトップというか「よーし。振り出すぞー!」のきっかけとして、左手首が寝ること。
なぜ”結果として”でなければならないのか?というと、始動のところからこれを意識していると左手首は寝るのではなくて内側に折れ過ぎてしまいがちだから。こうなるとクラブヘッドが必要以上にかぶってしまって、そのまま振りに行くとトップスピンがかかった極端なドロップボールが生まれやすくなってしまう(らしい)。理論的にも私の経験的にも。
スイングの始動時からずっと意識しておきたいと私が今思っているのは「左ひじは絶対に曲げない」。まずここからスタート。となるとアドレスから始動時には左手首はどちらかというと立ち気味の方が左ひじは伸びる。ところがこの立ったままの左手首の形をキープしたまま振りに行こうとすると、グリップエンドが先行するので極端なケースではドシャンクという惨事に見舞われてしまう。理想的なのはより自然に、無意識的に左手首が振り出しのきっかけの瞬間だけ寝てくれること。
ということでここでも登場してきました意識と無意識の狭間。
難しいです。実際。
左手首の形を意識するとワケ分からなくなります。
こういう時は初心に帰る。
目下の懸念事項はどうしても左ひじが曲がってしまうこと。つまり左ひじを終始伸ばした状態に保つことが目標。小さいパーツ(左手首)よりも大きいパーツ(左腕)。意識するなら大きい方というのが原則(なのではないか?)。
とはいえ左手首の形も確認はしたい。「寝る」というのも左ひじを伸ばす結果としてそうなるだけだとしても。
まだこれだっ!という何かは見つけられていないけれど、いくつか候補はある(個別というより複合?):
1.左腕のより自然なローテーションを理解した上で意識する;
2.できるだけ右側(右かかとに体重を感じた状態)で待つ;
3.右手でクラブフェースの位置と向きをイメージする;
などなど。
これらプラス前記事で触れた”秘密の3点”も使えないかなぁと考えている。
いずれも左手首には直接は関係がない。でも上に挙げたような項目の方をチェックしつつ体を動かすことによって、目指す事象(左手首が寝る)を導くことができないだろうか?
もしもうまく連動するなら、左手首が寝ているかどうかは気にしなくてもよくなるかもしれない。
或いは、寝ている感覚がどんなものかがより明確に感じられるようになり、より安心して振りに行くことができる。なんて幸せなことがあるかもしれない。
こうして意識と無意識の矛盾した関係を克服すべく、時間差でやってくる様々な感覚を、できるだけ動きの中で感じながら、自分の理想とするイメージみたいなものを作り上げられたらなぁという夢のようなことを考えている。