ばらつきは避けられないけれど全体的に変わる
やはり人間社会のあれこれを考えて改善していこうというのは一筋縄ではいかない。
当たり前になってしまった習慣というのは往々にして意識されにくい。意識されれば案外それだけで望ましい変化が期待できる。相当安上がりな方法。
現代を生きる人間にとっての難題はその習慣なるものが包含するもの、そして包含されて習慣化されていく経緯というものが共に複雑だということ。習慣化されてしまったものは中々意識されないということがリマインドされれば改めて見直してみようとする人だって沢山出てくることだろう。けれども出来上がってしまっている習慣が複雑多様であるなら、それらはサラッと見直しただけでその正体を掴むことが難しくなる。となるともはや”相当安上がり”というわけにはいかない。相当な頑張りが求められる。
「ばらつき」というのはしかしよく気が付くとか気が付いたことを正確に分析できる頭の良さとかいうことを指しているわけではない。
私はこれまで生きていて、やっぱり一人一人持たされているエネルギーって違うな、という感想を持っている。
”エネルギー”とは言ったけれど今の科学では計測し難いもの。
それでも感じるのだ。
本人たちは特に意識もせず発散されてくるもの。
”魂の力”とでもいおうか。。。
善人か悪人かといえば、私は人間は基本善人だと考えている。違いはなので本当のところは善悪ではなくて、普通にこの世に存在して生きているだけで善に向かって行ってしまうエネルギーの違いなんだろう。
同じ理屈でどんなに頭のはたらきが優れている人でも、みんながみんなエネルギーが強いわけではない。エネルギーとは別に頭脳を稼働させるのに要するという性質のものとも異なるのだ。
夜空の星を見上げれば明るく輝くものもあればそうでないものもある。勿論地球からの距離の違いもあるけれど、例えば私たちからの距離が等しかったとしても星々の光り輝き方は皆一様というわけではない。
いくら完璧に技術をマスターしたところで誰もがウサイン・ボルト程速くは走れない。
生まれながらに持たされているエネルギーというのも全く同じ範疇に入る。
これが善に向かう勢いのようなものとすると、誰もが善人で生まれてきていてもどこまでを目指してしまうか?というのはバラバラだということ。バラバラとはいっても統計的な分布があって、きっと多くの人々が固まる程度というものはあるだろう。ならばその程度が私たちの実力ということだ。
一人だけ突出していたって仕方がない。誰それさんより上か下かなんてことも全く問題にならない。塊りとしてボロボロならみなボロボロ。
というようなイマジネーションの仕方っておそらく過半数の人々ができないのが現実なのだろうね。
納得のいくような説明?
そうだなあ。
食糧とかどう??
今の世界で生きている人間の中で自分の食べるものを100%自給自足している人は圧倒的に少ないと思う。であるからして、今の仕組みが維持できなくなってしまうと大多数の人々が困る。困るで済めばいいけど。。。死んじゃいかねない。スーパーやコンビニに行っても食べ物が売られてないなんて状況、想像するだにおそろしい。
ここで「じゃあオレ自給自足する」とか言って済むと思う人が割りと沢山出てくることだろうが、一人や二人自給自足できたところでダメなのよね。。。数十人、数百人規模で自給自足のコミュニティや村を構築できたとしても、圧倒的多数が困窮しているなら、略奪などの危険は避けられない。様々な道すじは考えられるけれども、大勢としてはみんなで死んでいくことになる。
勿論一人一人が「自分に何ができるか?」を考えてそれが自給率を増やすことであったとしてそれが全く無意味であるとは言わない。大事なのはやはり塊としてダメなら自分の自給力アップ策がどれほど洗練されていようとそのために汗水垂らして努力していようとその策も努力も別に何か特別称賛されるべきものでもないんだと知ることだ。
いかに考え行動しようとも常に全体についても忘れない。全体がダメならアナタもワタシもカレもカノジョもみんなダメ。
責任感が希薄だなぁと感じるのは、このように全体に対しても自分は多少なりとも責任を負っている存在なんだということが微塵も持てていないという場面。
別にいつも考えていなくたっていい。
生きていく上では他にやらなきゃならないことも盛り沢山。
けれども意識の片隅にでも伏流のようにそういう全体に対して何もできない悔しさとか悲しさ情けなさというものは流れるようになるもんなんじゃないのだろうか?曲がりなりにも真っ当に生きていると信じているなら。
かっこいいパフォーマンスだけで客は付かない。一時付いたところで長続きなどしない。私たち人間は感じる生き物だからね。
そういう感じる力をこそ各々がもっと正当に評価できるようにならなければならないように思う。成長とか成熟というものがあるとするなら、おそらくそこからしか始まりはないにちがいない。
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