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ステマだらけのこんな世の中じゃ POISON

アラサー世代の人はわかってくれると思うんだけど、、

好きなゲームのタイトルをヤフーで検索すると個人サイトとか掲示板が上位に出てきて、「常連さん」同士が集まって交流してた時代がありました。

今はSNSが取って代わっているネット上での交流の場、掲示板やチャットルーム。それはキラキラサイトを含む個人サイトを中心に賑わっていた。
私自身も、キラキラサイトをはじめ、趣味の個人サイトや夢小説サイト、HTMLベタ打ちのメニューが日記とプロフと素材集の謎ホムペまで一通り作って充実したネットライフ。
なぜか、近所のお母さんたちの為に噂話用のチャットルームを作ってくれと頼まれて作った事もあったな。もちろんスマホとかLINEとか無かった頃。

その頃のネット世界に、ステマは疎か、マネタイズっていう概念は薄かったと思う。

いや、あったんだと思うけど、私たちの交流の場は侵されていなかったから、全然気にならなかった。
個人サイトであったとしても、自作自演レベル?
そこに、ブランディングだとかお金だとかは絡んでなかった。
そもそも、マネタイズ目的で個人サイト(ホムペ)は作られてなかったから。相互リンクで社会が成り立っていたし。


今はどうだろう。

何を検索しても、Amazonとか関連アフィサイトとか。個人ブログやメディアも、上位に出て来るものはきちんとSEO対策されててアフィリエイトやマネタイズを目的に作られてるものが多いから、似たり寄ったり。
B級感のある(率直に言うと、ダサい)サイトは、ブランドたちに埋もれて沙汰されて行った。

確かに、得たい情報は得られやすくなった。
けどそれと引き換えに、失われたものも多い。


私にはSNSも含めネット上の殆どの情報が、宣伝に見える。

でも、それも仕方の無いこと。ネットが現実世界と同等かそれ以上に大きくなった訳だから、こうなるべきして成った訳で、
むしろあの頃の発展途上的なネット社会が特殊だっただけだってわかってる。しかも、自分が子どもだったから、見える景色は大分違っていたかもしれない。

SNSマーケティングも、もっと言えばステマも、別に悪いばかりじゃない。
むしろ個人レベルで好きなものを好きな方法で宣伝できるって、限定された人たちが特定のものだけを宣伝するよりも健全って考え方もできる。
ただ、それは、簡単に操作されやすい類のものでもある。良心を持ったビジネスマンばかりの世の中じゃないので、悪い方向に操作される事も多い。

そんなような事はSNSの前にも、いつもどこかにあったはずなんだけど、仲良い人の状況をただ見ようとちょっと画面を開いただけで、秒速でうじゃうじゃ怪しいビジネスマンと無知な群衆の両極端が自分のタイムラインに乗っかってくる世界なんてものは、この時代になるまで到底想像できなかった。それは押し寄せる群衆のごとく力強く、盲目的で、阻止不可能。
ページ更新に1分くらいかかってたWindows 98の仕様の意義が評価される時が今ついに、到来(違う)。

ホットな話題が出てくれば、下心が見え隠れする戦略的振る舞いと、各々の人としての純粋な意見と、色々な意味を持つ感情論とで、論点ズレまくりのカオスが絶え間なく流れて来る。無視しようとしても、Twitterやってる以上、律儀に交流しようとする以上、避けきれない。
まるで現実社会のようでもある。

ブランド戦略に利用する人(これは別に良いけど・・・)
ただただ煽って注目集めようとする人(悪の正当化で有害な場合もあり)
自分も何か言わないといけないと勘違いする、良くわかってないけど何かに加勢する人たち
それを利用しようとする隠れた扇動者

物事の闇の側面のはずのものが、なぜか表に出まくってくる現象。


なんか、そういうのと切り離された世界もかつてあったよなって、懐かしく思ったのです。
少なくとも私の居たところでは、文字通りキラキラのサイトで(今どきのキラキラツイートとは全く違くて、実際にキラキラしてるの!)キラキラの壁紙ホムペに貼って重いよ重いよーとか言って喧嘩したり、キリ番〇〇〇目踏んだの誰ですか?とかスレ立ってたり、カナヘイさんの待ち受け画像集めたりアニメのなりきりチャットでキャラ被って怒られたり。
今思うと馬鹿らしいと思う事も、独裁的でカリスマ的などこかのホムペの管理人も、結局はネットの中の話だった。見たくないものは、むしろ自分からわざわざ覗きに行かないと見られなかったし。勧誘って言っても、週末会って話せませんか?とか言ってこないし。
子どもにとっては比較的平和な楽しい世界であった。

自分たちだけの領域なんて、もう無いから。
隠れ家なんて幻となった。
大人も子どもも、すべてビジネス領域。
良い人と直接知り合ってその人から直接何か買えて、それは素敵な事なんだけど、それ以外の場も残ってて欲しかったのに。誰もが正しい良心を持ってる訳ではないから。戦略抜きの戯れとか趣味とかに直行したい日もあるから。

見えるものすべて、バックにはお金が付いて回るのがデフォルトの、
ステマだらけの世の中で信念を持って立ち回る意味って、なんだろう。
もしかしたら、ないのかもしれない。


それでも、そんな世の中だからこそ大切にすべき事が、私には明確にあるように感じる。

自分の良心に従うという事。
他人の弱みに付け込まないという事。
周りに流されないという事。

どれも基本的な事だけども、幻想に煽られて忘れてしまう人も多い。
他人を犠牲にしてお金を得て心地よい領域に行けた人は、後から別人になったかのように社会貢献とか良い事ばかり言い出す。過程なんか皆気にしてないんじゃないかって、また幻想を作り出す。
子どもなんて皆かつてそうだったと思うけどワルい方がカッコよい哲学のせいで、ワルっぽいのが正義とさえ思いがち。~♪そっちの方が稼げるとわかれば余計に、POISON.

ビジネスは、正義にもなるし悪にもなる。
ただ、もうすべてがごっちゃになってしまっているからそれに対しての嘆き。
良心ばかり持ってたら稼げないっていうのも真実。しかし、匿名SNSはもはや稼ぐだけのツールなの?そこに、純粋な人の心は無いの?
趣味の集まりも、仕事からの逃げ場も、優しいあの人も、裏で全部お金が支配が回っていたとしたら。
それもあり得る時代になってしまいました。仕事とプライベートがこれからどんどんごっちゃになる時代。人を見極めないといけないけれど、決められたプラットフォームの決められたシステムがその自由さえをも静かに阻む。

ネット社会が現実社会となった今、何にどこまで支配されるのか。
自分の活動の場と、交流の場の線引きをどの程度するのか。
どうやって誰も陥れないやり方で、SNSビジネスにも関わるか。
どうしたら同じ価値観の人たちとの交流を大切にできるか。

それらを常に問いながら、正々堂々、毒は雀の涙ほどにした自分のやり方で、SNSを続けていきたい。(それさえも戦略に聞こえる・・・?笑)

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