まだまだ中途半端
まだふりきれていない。
自分でそう感じるのだから、きっとそうなのだ。
果たして、何に遠慮しているのか???
というか、遠慮なのか?????
なんとなくふりしきる雨の中、窓の内側でもやもやもやと考える。
ここでのわたしは、まだ”「わたし」らしくない「わたし」”だと感じているんだ。
(余談:こういうとき、かぎかっこも、どこの「わたし」に、どれだけつけるべきか悩んだりする)
そういう意味では(いやいや、突き詰めるとどういう意味かよくわからないのだが)――もしかすると「自己紹介」って、大事なのかもしれない。
自分の立ち位置を、自分だけがわかっているつもりだったが、実のところ今はなんだかふらふらしているではないか。
しばりがあるようでないから、中途半端に感じるのかも?
自由になりきれていないと感じるのは、自分自身が出発点を示していないから――自分の出自、立ち位置を明らかにしていないから、かも。
だから、相手もどこに焦点を合わせていいのかわからないのではないか。
焦点の合わないまだ見ぬ読者に、焦点を合わせようもなく――
いや、それでいいのだと思うところもあるが、それならそれでふりきってGoing My Wayでいけばいいのに、そうできていないではないか!
自己紹介で「自分」というものを(たとえ一部でも)見せる。
「自己紹介」はわたしに対する先入観(というのはあまりよくない言い方なのか?)や前提になるもの――「それを見たあなた、こんなわたしの発信をどうする?」と相手に投げかけるものなのかも。
「その人」の姿がなんとなく透けて見えるものがあって、足を止めてみようと思うものかもしれないから。
しかし、ここでまた立ち止まってしまう。
結局のところ、透けて見えてほしい――見せてよい、見せたい自分が定まっていないのだ。
自己紹介にもためらいがある。
どこまで、なにを、どのようにお知らせしようか…………。
いやいや、もうちょっと悩んでみよう。
それまでは、しかたない、自由になりきれていない自分のありさまを、ぶざまに表していこう。
そうそう恥ずかしげもなく。
まず、そこから、ちいさなちいさな意識改革。
ぶざまなのろのろ運転だとしても、
自己紹介ができるようになるための一歩として
ふりきれるようになるための一歩として、
自由だと自分でも言えるようになるための一歩として、
進んでいってみよう。
(どれだけかかるかな……。)