別れの時期
前回の続き
Mの家に12月半ばからお世話になることになりました。
帰ったその日に仲直りそして晩御飯を食べに行きました。
そこから1か月同じ家、同じ部屋に暮らします。
同じ家に暮らすので、家賃のことを聞いたところ、何も具体的な数字を提示してくれなかったので、言われた時に払おうと思っていました。
そして、1月の終わりごろ、仲違いを沢山起こし、もう一緒に住めないとお互いになり、家を出るとなった時に、週200ドルねとお金を急に請求されました。約4週間ここに住んでいたから$200×5ね。と。
幸いなことにこのお金のやり取りはラインで行っていたため、力づくでどうこうとはならなかったです。
最初の1週目だけ払い、2週目からの請求は無視し、全てブロックし、Mとは幕を閉じました。
そこからは仲よくしてくれていた、オーストラリアの友達(トム)の家に住まわせてもらうことになりました。
彼はとても優しく私が傷ついているのに気づき、晩御飯を作ってくれたり、話を聞いてくれたり、一緒に飲んでくれたり、私が欲しかったのは優しさだと気づきました。
彼は私がモーレイフィールドに住んでいる時によく電話をしてくれていました。朝も私が起きる時間に合わせて連絡をくれたりなど、とても細やか人だったと今思い返すだけでも、キュンキュンします。
2月に入り、私は職場から近い場所に引っ越しをしました。
今では破格の週$125の家です。
そこには、イギリス、パプアニューギニア、アフガニスタンから来た人たちが住んでました。とてもいい家で今でも時々戻りたくなります。
後から聞いた話、パプアの方は汚すぎて追い出されたそうです。オーストラリアの家では追い出されるということもしばしば。。
私が家を出た後もトムは時々遊びの誘いをしてくれていました。
そして私がもう一度、ビザを伸ばすためにファームに戻ると決め、車を購入し、車に住みながらファームをすると伝えると、トムは車に生活スペースを作ることを快く協力してくれました。
それが4月ごろのお話です。
そこから、また一緒に暮らすようになります。
続く