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金沢まちあるき活動報告②

こんにちは。はまみらいプロジェクトの恒住と田野井です。
本記事は、「金沢まちあるき活動報告」のパート2となっています。よろしければ前回分を先にご覧ください!

前回は、シーサイドラインの一日乗車券を使って、
横浜南部市場シーサイドタウン富岡八幡宮、食べ歩きで訪れた菓匠 富貴文明堂梅蘭シーサイドスパ八景島を巡りました。

今回も横浜の魅力をたくさんお伝えします!
最後までお楽しみください。


5.金沢文庫

シーサイドライン八景島駅を過ぎ、訪れたのは金沢文庫です。シーサイドライン海の公園柴口駅から歩いて十数分の場所にあります。

金沢文庫は、鎌倉時代に北条実時によって設けられた、未だ残る最古の図書館です。実時は自身でも書物を執筆するなど読書や学問を尊び、蔵書の充実をはかりました。その数は、6月23日時点で国宝3件重要文化財3500点あまりにもなります。
当時の建築物は現存していませんが、伊藤博文ら様々な人物の尽力により、再建・復興されて今に至ります。

まちあるきの日には江戸当世図上旅行という企画展が行われており、江戸時代の民衆の旅の楽しみ方が紹介されていました。

こちらの企画展では、期間限定で特別に写真撮影が解禁されています。ということで、今回私は瓦版売りとして展示の一部をご紹介したいと思います。
瓦版とは、江戸時代につくられた時事的なニュースを取り扱った印刷物のことで、当時は天災や心中、妖怪出現の際にも用いられていました。

こちらは、東海駅路狂歌寿娯録という、江戸時代に楽しまれたすごろくです。東海道五十三次でも有名な歌川広重が絵を、檜園梅明が狂歌の選を行ったものです。日本橋を起点、京都の三条大橋を終点とし、東海道の名所を巡る形式となっています。
こういった遊びを通して、江戸時代の民衆は、団らんのなかでも旅の気分を味わうことができていたようです。さらに、東海道中膝栗毛に代表されるような旅を主題にした書物も発展し、民衆の旅への関心は、旅に行かずとも高まっていきました。

こちらは大日本道中細見記です。松前から五島列島までの海道の宿駅が黄色で、名所や旧跡が赤色で表されています。それだけでなく、城・城主の名前、石高、江戸からの距離なども事細かに記載されています。
旅人たちはこれを折りたたんで持ち運び、旅のお供にしていました。
私たちもまちあるき班として、後世に残るようなこういった地図をつくりたいと思います!

6.称名寺

金沢文庫のそばにある称名寺は、1258年ごろ、北条実時によって創建されました。
古くは金沢北条氏の菩提寺として栄え、非常に規模の大きな浄土式庭園があるのが特徴です。現在の庭園は1987年に修復されたもので、緑豊かな金沢三山(金沢山・稲荷山・日向山)を背に、称名晩鐘を見ることができます。

7.金沢八景

金沢文庫と称名寺で金沢区の歴史を堪能したあと、再びシーサイドラインに乗り、終点の金沢八景へと向かいました。

ここは、アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の聖地でもあるそうで、今回のまちあるきでは、金沢八景駅から徒歩3分ほどの琵琶島神社を訪れました。

この琵琶島神社は、治承4年(1180年)、源頼朝が瀬戸神社を創建した時に、北条政子が日頃信仰する琵琶湖の竹生島弁財天を祀って、瀬戸神社の海中に島を築いて創建したそうです。

こちらが、この神社で祀られている弁財天様です。鳥居をくぐり抜けてすぐ、左手に見ることができます。この立ち姿から、「立身弁財天」とも呼ばれているそう。こぢんまりしていて、どこか親しみやすさを感じました。

こちらは鳥居の手前、右手にそびえ立つ大きな石で「福石」と呼ばれるもの。「金沢の四石」という古代から神霊が宿ると信じられていた石のうちの一つで、源頼朝が瀬戸神社参拝のために平潟湾で禊をした時に衣服を掛けた石であるため、「呉服石」とも呼ばれるそうです。

8.おわりに

さて、シーサイドライン沿線のまちあるきの様子はいかがでしたか?
歴史や食など、金沢の魅力が詰まった、非常に楽しいまちあるきでした。
みなさんもぜひ、シーサイドライン沿線を散策して、金沢区の魅力を再発見してみてはいかがでしょうか?

参考
金沢文庫
称名寺
琵琶島神社
金沢の四石


都市科学部 都市社会共生学科
恒住彩和子 田野井聖

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