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あなたの知らない横浜市〜地名由来を紹介〜
こんにちは!はまみらいプロジェクトの堀井です!
横浜市と聞いてみなさんが想像するのは みなとみらい ばかりではないでしょうか?しかし、みなとみらい21地区は横浜市のたった0.4%です!!
実際、横浜市は438km²の市域を持ち、人口は政令指定都市で最多の約377万人を誇っています。
そんな横浜市の知られざるポイントを皆さんに知ってもらうべく、本記事では横浜市にたくさん存在する地名から3地域をピックアップして、地名の由来を紹介していきます。
常盤台(横浜市 保土ケ谷区)
横浜国立大学や常盤公園が位置する保土ヶ谷区常盤台にはかつて、程ヶ谷宿の豪商であった岡野氏の別荘地がありました。彼が別荘の一部を常盤園として一般に開放したのが常盤台の由来です。常盤台の「台」は典型的な瑞祥地名であり、これは近年の新興住宅地に散見される地名です。もともとの常盤台は起伏に富んだ地形であったため「台」が用いられました。
瑞祥地名とはめでたい言葉を与えられた地名であり、ニュータウン開発など大規模なプロジェクトでは開発者がブランディングのために用いる事例が多くあります。
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台地が広がっている
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他にも岡野氏が由来となっている地域があります。それは相鉄平沼橋駅西側にある岡野町です。岡野町1丁目及び2丁目はかつて帷子川の河口の湿地帯でしたが、1833年以降、岡野氏はこの土地を中心として新田開拓を進めました。この土地の北東には横浜道が開通しましたが、これは横浜港の開港に先んじて程ヶ谷宿10代目当主の苅部清兵衛悦甫の指揮によって造られました。日本が開国して以来、当初は神奈川宿あたりに港を作る予定でしたが、治安の関係上、当時は小さな漁村であった関内周辺に開港することになりました。そのため、物流網の整備として横浜道が開通し、現在は新横浜通りとして岡野町の北東縁を走っています。
高島(横浜市 西区)
現在は、横浜駅以東の区画(高島町2丁目)と、帷子川を挟んで南側にある区画(首都高より東が1丁目、西が2丁目)が高島となっています。横浜駅東口にはそごう横浜店や横浜スカイビルといった大型商業施設が多数位置している一方で、高島1丁目には近年のみなとみらい地区開発の一環として新築のオフィスビルが多数建っています。この地域は、もともと入江であり、明治の横浜開発の一環として埋め立てられました。埋立を政府に提案したのは、実業家の高島嘉右衛門であり、彼の名前が地名の由来です。日本初の鉄道が新橋ー横浜間に敷設されるに際して高島築堤が造成されましたが、これも同様に高島嘉右衛門が由来です。ちなみに当時の横浜駅は現在の桜木町駅の場所にありました。
高島嘉右衛門は苅部清兵衛悦甫、吉田勘兵衛と共に横浜三名士と言われるように、横浜を築いた偉大な人物です。
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八景島(横浜市 金沢区)
戦後復興と共に大規模都市再生事業として実施された横浜市六大事業において、その一つが金沢先地埋立事業です。それは市中心部の工業地域を移転することが主目的であり、それと並行して、開発により縮小した市民のためのレジャー施設を回復するために造られたのが八景島です。現在、本島は八景島シーパラダイスが位置しています。地名の由来は島の西側にある「金沢八景」という地名です。
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金沢八景駅周辺地域が八景島の地名由来である
八景とは8つの優れた風景を選定する評価様式です。富嶽三十六景のように(後に10枚追加されたが)8つに絞らない場合も多いですが。金沢八景はその景勝地郡が中国の瀟湘八景に似ていることから、そのように名付けられました。これは歌川広重の『金沢八景』にも描かれており、昔から多くの人々の間で知れ渡っていました。かつては、入江が続き、景勝地でしたが、沿岸開発による埋め立てと都市化のために、その面影を知ることは難しいです。
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以下、八景島の造成について地理院地図より
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まだ八景島は存在しない。写真右上には金沢先地埋立事業によって造成された陸地を確認できる
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島の護岸が整備され、いよいよ埋め立てが開始されるところである
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1986年に「海の公園島部(八景島)開発構想」が策定され、レクリエーション施設としての開発が進められた
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八景島シーパラダイスやヨットハーバーが営業されている
いかがでしたか?初めて聞く地名や、薄っすらと聞いたことのある地名について理解が深まりましたか?
本記事を機に、横浜市をもっと楽しんでいただければ幸いです。
参考
国土地理院 地理院地図
横浜市 西区歴史さんぽみち
都市科学部 都市社会共生学科
堀井優音