横浜の不思議な地名の由来
こんにちは。はまみらいプロジェクトの山門です。みなさんは普段自分の住む町や職場・学校のある町の地名の由来について考えたことはありますか?当たり前のように呼んでいる地名でもなぜその名前になったのか知っている人は少ないのではないでしょうか。今回の記事では横浜国立大学近辺や横浜市営地下鉄ブルーライン沿線の地名の由来についてご紹介します!
・和田町(保土ヶ谷区)
鎌倉時代,源頼朝の平家打倒にお供していた,のちの鎌倉殿の13人のうちの1人和田義盛がある日夢枕に現れた観音様に「ここのお稲荷様を信じれば願いが叶いますよ」とお告げを受けます。そのことを頼朝に話すと土地が与えられ義盛が稲荷社を建立しました。その後参拝した頼朝が義盛の名にちなみ、「和田稲荷」と名付けたと伝えられています。この和田稲荷が和田町の由来になりました。
現在も和田稲荷は残っていて,相鉄線和田町駅から商店街を抜け国道16号線を渡り住宅街の中を進むと約8分ほどで到着します。
・軽井沢(西区)
横浜駅から横浜国立大学方面のバスに乗車してしばらくすると通る地域になります。この辺り周辺は沿岸部の埋め立てが進められるまでは海を目前とする地域で,雨が降ってもすぐ海に流れ出て沢が枯れているように見えることから「枯れ沢」と呼ばれ始めました。下の地図は1901年のものになります。当時横浜では既に埋め立てが進められていましたが,軽井沢地区の目の前にはかつて海の一部であった沼が見受けられます。
地名において縁起の悪い漢字は変えられることが多いため「軽井沢」の字が当てられたと考えられています。なお,長野県の避暑地として有名な軽井沢とは特に関係がなく,そちらは軽石などの火山堆積物に由来する地形の名前や荷物を背負うことを意味する古語「かるう」から来た説などがあります。
・伊勢佐木町(中区)
伊勢佐木という名は、中村次郎衛(治兵衛)の屋号伊勢屋の「伊勢」と、佐川儀衛門の「佐」と、佐々木新五郎の「木」を合成したものになっています。彼ら3名は伊勢佐木町周辺の埋め立てや道路整備に貢献していたことから,1874年に県令(現在でいうところの県知事)によって名付けられました。なお地下鉄の伊勢佐木長者町駅は当初住所が長者町であることから長者町駅になる予定でしたが,知名度が高く有数な商業地でもあることから伊勢佐木の名が加えられました。
・踊場(泉区)
普段ブルーラインを使う方は一度は聞いたことがある行き先なのではないでしょうか?この地名は諸説あるものの一説によればこれからご紹介する古くから伝わる伝説に由来しています。昔戸塚宿の水本屋という醤油屋にトラという猫がいました。この醤油屋では毎晩手ぬぐいが一本ずつなくなるということが起きていました。そこで主人はある晩,手ぬぐいに紐をつけてその先を自分の手に結んで寝ました。主人の手が引っ張られて目を覚ますと,トラが手ぬぐいを咥えて逃げようとしていました。主人は手ぬぐいがなくなっていたのはトラのいたずらだったのかと思います。ところが,ある夜に主人が村のはずれを通りかかると,丘から賑やかな歌が聞こえてきます。主人が木陰から覗いてみると,猫たちが手ぬぐいをかぶって踊っていました。そこにはトラもいたのです。そして猫たちはトラを囲んで踊り始めました。以来その場所が踊場と呼ばれるようになったということです。
これにちなんで踊場駅には様々な猫のデザインが施されています。
また踊場駅限定でこのような猫が描かれた切符を買うこともできます!
いかがでしたか。横浜市内には駅が150以上もあり,バス路線も豊富に発達していて様々な地名を見ることができます。ぜひ皆さんの身近な地名を調べてみてください。
参考文献
・和田町