約1万8000年前 | まずはここから!本州最古の浜北人@根堅遺跡
浜北人
合併前の浜松市民には、浜松と浜北はどことなく別地域という感覚があったのが正直なところではないだろうか。現在の浜北区は、きらりタウンあり、サンストリートあり、そして新浜名中学校が象徴するように、浜松の人口増加(維持?)の中心地になっている。一方で、浜北人という響きはどうもその昔を思い出させるものがある。
ところがこの浜北人、歴史の教科書に堂々とその名前が掲載されている。それも合併前どころか、1万8000年前~1万4000年の旧石器人としてである。さらに驚くのは、旧石器人の骨は、本州では浜松の根堅遺跡でしか見つかっていないのである。※それ以外は港川人など、沖縄県のみ。
旧石器時代
まずは旧石器時代が地質用語で更新世と呼ばれていることを覚えたい。以前は洪積世と呼ばれていたが、今は更新世が一般的。この更新世/旧石器時代は長い。始まりは約260万年前で、エチオピアで発見された世界最古の石器が起点。終わりは縄文時代が始まるざっくり1万年前である。チバニアンも更新世で、77万4千年前~12万9千年前だ。
私たちの祖先であるホモ・サピエンス(新人)は約20万年前に東アフリカで旧人から進化し、6万年前~5万年前にかけてユーラシア大陸に急速に広がっている。日本に到達したのは4万年前ごろというのが有力な説。本州で人骨が見つかったのは浜松だけだが、旧石器時代の遺跡は国内に1万以上ある。もっとも有名なのは相沢忠洋が1946年に関東ローム層から発見した群馬県の岩宿遺跡。ナウマンゾウでおなじみの長野県野尻湖も有名。
根堅遺跡から打製石器は発見されていないが、その周辺で出土している。
根堅遺跡
その点、根堅遺跡は浜北人が見つかったのに認知度が低い。浜松に住んでいても「それどこ?」な人が多いのではないか。ただ、根堅遺跡は知らなくても、「岩水寺星まつりの臨時駐車場」というとピンと人もいるのではないか。
関東ローム層の岩宿遺跡に対して、根堅遺跡は2億5千年前にできた石灰岩地帯である。そこで長い年月をかけて形成された洞窟内から浜北人は発見された。現地を訪れてみると、岸壁にくぼみのようなところがあり、「ここか!?」と一瞬思うものの、その洞窟自体は現存していない。この場所は石灰岩の採掘場であり、1961年に浜北人が偶然発見された後も、採掘は続けられ、当時の面影は無いという。
浜北人は2人いる
発見された浜北人は2人いる。1人は年齢性別が不明の浜北下層人と呼ばれる1万8000年前の人物で、脛(すね)の骨の一部だけが見つかっている。もう1人は20代の女性と推定されている浜北上層人で、1万4000年前に生きていたとされている。
同じ場所で発見されているものの、その差が4000年というのは何ともイメージしづらい話である。また、この先に出てくる蜆塚人(縄文人)と浜北人(旧石器人)が繋がっているのか/いないのかも興味深いテーマだ。最新の研究では、浜北上層人と縄文人には骨の形態的特徴が似ているということが指摘されている。
岩水寺の星まつり
先述した通り、根堅遺跡のすぐ隣には岩水寺がある。地元では安産祈願で有名で、護摩祈祷を経験された方も多いのでは。毎年2月に行われる星まつりは多くの人が訪れる人気イベント。特に1日3回ある餅投げの時間帯は会場に来場者が集結。「早く餅投げてくれ」という雰囲気のなかで歌手(時に大物!)やものまね芸人の歌謡ショーが延々1時間続く(いい場所を確保するためにはこの1時間は必須)。それが終わると、ミス浜北、地元系政治家らによる餅投げがはじまる。ここには子供のための特別スペースなど無い。気合の入った大人たちの戦いをまざまざと見せつけられる。