重い重いではなく、重いを軽いに
パッとやってしまえばなんてことはないことも、「ちゃんと時間を取ってから」とか、ただ気分が乗らないだけなのに、すぐにやらない最もらしい言い訳をして、先延ばしにしてしまうことがある。
やることに変わりはないのに、いずれやらなくていけないことでもそうなる。結局、期限ぎりぎりになって火がついて、なんとか終わらせるとか、そんなことになってしまうと、目の前のことに常に追われる状態だ。
一つ一つのことが断続的で、常に目の前の何かに対処するということになってしまう。そうなると全体の中での位置付けとか、そもそもの目的とか、連続性が欠如した状態の中で、とにかくやるということになる。
ましてや期限の決まっていないことは、後回しになって、どんどん先延ばしになっていく。そして時間だけが経過して、いつの間にかないことになる。思いついた時の鮮度はどんどん落ちて消えてしまう。
場当たり的にいつも何かに追われていると、何かが入ってくるゆとりや気持ち的な余裕がなくなってしまう。そして、ただただ自分自身をやる余白がないような状況に追いやってしまう。視野も見通しも狭く短期的になる。
一つ一つは小さくて、たとえやることとしては軽かったとしても、数が多くなると重くなる。重くなると、どんどんやることそのものが億劫になる。そして、いつのまにか、重いやることになってしまう。
そんな状況に陥ってしまうと、先の見通しなんてものはなく、次から次に対処するということになる。一度はまった状況を脱するには、とにかく積み残しを1つ1つ減らしていくしかない。
一つ一つのことを完了させて、軽くしていく。1つ終わると、軽くなる感覚がある。軽くなった状態になると、余白ができて、ふと思いついたり入ってくるようになっていく。
時間をかけないと終わらないことは、カフェとかに閉じこもって、終わるまで帰らない。自分に課して、とにかくやる時間を作る。自分に言い訳をさせない状況に追い込むということも必要だ。
重いと感じるものは軽く、軽いものも軽いうちにやることが、結果的に自分自身を助けることにつながる。気持ち的にも軽く余白ができて、視野や見通しも広がりが持てるようになる。