人生の正解ってなんやねん。(2024年ver.)
もはや恒例の「人生の正解ってなんやねん。」
ただ、最近「人生の正解」について考えることも少なくなったから、改名してもいいんじゃないかと思い始めて2年くらい経った。最近とは。
人生は遊園地や!(ゆたぼん風)
社会人になって3年が経とうとしている。思えば、人生の正解について考えることが少なくなったのは社会人になってからだった。
学生の頃は、人生とは山登りみたいなものであり、ひとつの目標に向かって歩んでいくものだと思い込んでいた。だから、「仕事は目的ではなく手段」「自分が目標にしたいことはなにか」「自分が目指しているこの世界の形は?」なんて掴めそうで掴めない大きな目標を探し求めていて、それに向かって努力できることこそが理想的な生き方だと考えていた。
でも、この理想には大きな欠点があった。それは、私にはそういう生き方が向いていないということ。目標を定めても、すぐ他のことに興味がうつったり他のおもしろそうなことをしてみたいと思ってしまう。これを続けよう、と決心しても、数ヶ月後には違うことをやっている。
私の人生は、山登りではないのかもしれず、むしろ遊園地のようなものなのかもと思い始めた。遊園地で色んなアトラクションに乗って遊ぶように、人生で遊べたらいいんじゃないか、と。
人生はほぼほぼ運
転職をした。
転職自体は自分で決めたけれど、転職活動はさながら大縄跳びのような、タイミングを見て思い切り飛び込む力が必要とされていると思った。飛び込むなら今!って時に人生の正解とは?なんて考えていては出遅れる。
人生なんてほぼほぼ運でできている。
自分が何かを選ぶことで変えられるものごとは多くはなく、今持っているカードや環境は基本的には変えられない。そんな簡単には変わらないことも救いのひとつだと思う。
ただ、物事の見方とか捉え方、自分自身の有り様をレベルアップすることで、上手く生きることができるようになる。そして、精神的充足感を得られるようになる。
幸せの決め手は環境ではなく、精神的な充足感なのではないか。
コミュ力があって、ガッツがあって、なんでも器用にこなせて、そんな人になれたらどんなに人生イージーモードだろうか、なんて思ってしまう。
そりゃ私にもいいところはあるだろうけれど、実際に「上手く生きる」には足りていない能力も多くある。まあそれが、自分的にはコミュ力とガッツと器用さなんですけどね。
いつだって人生はないものねだりで、
でもたぶんそれでいいし、そうでしかないのだ。
いや〜自分、上手く生きてますわ✋なんて思ってる人はたぶん存在しなくて、上手く生きてるとは思えない人が大多数、上手く生きてることに気づかない人がひと握り、っていう塩梅なんじゃないか。人には人の地獄があるし、自分のことは自分しか分からない。
16パーソナリティ診断でINFPだったことも気にしていたけれど、血液型くらいなものだと思うことにした。「上手く生きる」なんてそもそも難しいのだから。
その代わり、上手くいかない理由にするのももうやめる。
日々淡々と、軽やかに。
今年は人生の階段を間違いなく登ることになる。
ただ、日々は同じように繰り返し続いていく。
自分の好きなこと、やりたいことをやりつつ、現実に戻ってくる鍵として仕事はしっかり続ける。
しっかりとしているけれども軽やかな足取りで、1年を過ごしたい。
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