【エッセイ・ほろほろ日和11】美輪明宏さんのこと
その昔、東京の銀座に「銀巴里」というシャンソン喫茶があった。
オープンが1951年(昭和26年)。美輪明宏さんや、戸川昌子さん、金子由香利さん、平野レミさん、クミコさんらが出演され、坂本龍一さんが芸大の学生時代に、ピアノを弾いてアルバイトをしていたという逸話もある。
銀巴里が39年の歴史に幕を降ろしたのが、1990年(平成2年)。当時、新聞の一面に「銀巴里閉店・昭和の光がまた消えた」と見出しが躍った。
私は、閉店する2年程前に銀巴里のオーディションに合格。駆け込みで歌う機会を与えていただいた。ラッキーだった。畳2枚程の小さな楽屋で、小さなベンチシートに先輩歌手と座り、たくさんの教えを頂き、生バンドと共に歌えるなんて、今思い出しても陶然とするくらいに素敵な経験だった。
だって、「昭和の光」だもの。今はそんな場所、なかなか見つからない。
オープン当初から銀巴里を盛り上げ、育て上げてきた美輪明宏さんは、当然大御所。私にとって、先輩と呼ぶことすら出来ない、それこそ、雲の上の人だった。あまりにも遠い存在で、お側に近付くことさえ出来ない。客席後ろの厨房から、息を殺してお姿を拝見すると言うことくらいが関の山だった。
ある日… 銀巴里とはまったく別の場所で、美輪さんとお会いする機会を得た。私の知人が企画したイベントに、美輪さんがゲスト出演することになり、私はそのイベントの舞台裏のスタッフとして駆り出された。知人は、「あ! 君、確か銀巴里で歌ってたよね。じゃ、こっちに来て」
と私をイベント会場の控室に案内し、扉を開いた。
「美輪さん、この子ね、銀巴里で歌っているんだって」
控室の中には、雲上人の美輪さん。椅子に腰かけて、こちらを見ている。
仰天した。しかも、あなた、そんな軽い口調で紹介ですかっ! ど、どうすれば良いんですか、私!
「よ、よろしくお願い致します!」
緊張してアフアフしながら名前を名乗り、深々と頭を下げた私を前に、美輪さんはすっと立ち上がった。そして、ゆったりと微笑んで一言。
「美輪明宏でございます。どうぞよろしくお願い致します」
菩薩。思わず息をのんだ。私を見て優しく微笑んだ美輪さんは、ご挨拶のあと、優雅にそして丁寧に頭を下げてくださった。ジーパンとTシャツで舞台裏を走り回っていた私に。
それ以降の記憶が、ない。
たぶん、もう二言三言お話をして下さったような気もするが、本当に何も憶えていない。当時20代の小娘に、しかも銀巴里出たてのペーペーの新人歌手に、雲上人が深々と頭を下げて下さった。そのことが、ある意味ショックで、記憶がとんでいる。
先輩歌手の中には、新人を見れば、イビる、無視する、嫌味を言う、怒鳴る、こき使うという人もいた。
「この人、人間としてどうなのよ!」
とお店の裏で泣いたことも、一度や二度ではない。もちろん、とても素敵な人もたくさんいらしたけれども、美輪さんのように相手を尊重する姿勢でご挨拶を返して下さった方ははじめてだった。思わず、手を合わせて拝みたくなった。本物は違うんだと思った。
優れたプロフェッショナルは、人間としての器も、強さも、厳しさも、優しさも桁外れなのだと感じた。そしてたぶん、身を持って、本当の挨拶とはこういうものだと教えて下さったのだ。
その日以来、私もプロとして、仕事の現場では誰に対しても、礼儀の部分はきちんとしようと肝に銘じている。出来ているかどうかは、あやしいけどなぁ。
それにしても当時の美輪さんは、52~53歳くらい。えっ? 私、とっくに超えてる? 年齢だけ、超えてるよ。どうしよう。
今の私は、20代の若者に何が伝えられるのだろう。たたずまいや立ち居振る舞いだけで、語れることがあるのだろうか。
ないわ~。
手遅れかもしれないけれど、まだもう少し伸びしろはあるかもしれない。それを信じて、明日も励んでみたいと思う。