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雨音の中で見つけた支え

六月の雨がしとしとと降る午後、有床診療所の院長である私は病棟のある一室に入った。雨音がガラス窓を叩きつける音が、静かな部屋の中に響いていた。80歳の女性患者がベッドに横たわり、窓の外を見つめていた。彼女の目には、深い憂鬱と諦めが漂っていた。そしてその動かすことができない手足は、雨の日だからかとても血色が悪く感じられた。

「何か気になっていることはありませんか?」私は静かに尋ねた。

彼女は長いため息をつき、顔を上げた。「どうして私がこんな目に遭うのかしら。リハビリしても足は動かないし、こんなことならベッドごと海に投げ捨てて欲しいわ。ああ、でもベッド代は払うわね」

その言葉に返す言葉が見つからなかった私は、ただ時間をかけて、その女性の言葉を反復した。「ベッドごと、海に投げてほしい、そう思うんですね」

沈黙が深まった。その沈黙は、とても長く感じられ、永遠に続くかのようだった。

「迷惑をかけたくないの。私はもう無意味なのよ」と彼女は呟いた。

私は彼女の話に耳を傾け、彼女の特に苦しかった時期の話をした。病気と闘い、手術を乗り越えたこと。せっかく頑張って手術をしたのに、思い通りにいかなかったこと。その中で、彼女がどうして苦しい時を乗り越えることができたのか、と問いかけたその時、彼女の瞳に一瞬の輝きが戻った。「私は植物が好きなの。花や野菜を育てるのが生きがいだった。」「でも今はできない。それが一番辛いの」

彼女は農家としての誇りを持っていた。私はふと思い立ち、彼女に尋ねた。「私も植物を育てたいと思っているのですが、初心者で何をしていいのかわかりません。何かおすすめはありますか?」

彼女の目が輝いた。「今の時期ならゴーヤね。植えっぱなしで大丈夫。初心者でもどうにかなるわ」と彼女は微笑んだ。隣のベッドの患者も賛同し、「私もゴーヤ賛成!医者が作ったゴーヤが食べたいわ!」と声をかけた。

病室は瞬く間に農作物の話題で賑わい始めた。時期的にはギリギリであること。肥料や水やり、台風対策まで話が広がった。医師と患者の関係は姿を消し、そこには「農業のプロフェッショナルから教わるど素人」の関係が生まれた。「まずはやってみなさい!明日近くのコメリで苗とか揃えるのよ」そう言った80歳の女性の瞳は再び輝きを取り戻し、病気の影は消えていった。

人は、苦しくても、自らの支えを感じることで穏やかになれる。

翌日、外来が終わってからゴーヤの苗を買った。30円だった。


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