偏見・差別を含むずるい言葉
偏見や差別を含む、ずるい言葉があります。
それは、言っている本人が気付いていなくても相手を深く傷つけるずるい言葉。そんな言葉があなたの周りにあります。まずは、そこに気づくこと。
こちらから引用しました。
身近にいないから分からない
(例)
B「あいつ、また喘息で学校休みやがった。サボりだろ」
A「喘息って大変なんだって」
B「ふーん。身近にいないから分かんないや」
「身近にいないから、分からない」と言うことで、分かるのハードルを上げる。それにより、「喘息のことを分からない私は悪くはない」だから、「相手を傷つける言葉を言っても悪くない」。
でも、喘息自体は誰でも知っている病気ですし、どう調子が悪いのかを聞けば良いですよね。「身近にいないから」と付け足すことで、「自分は悪くない」を表明しているところが、ずるい言葉です。
身近にいるから、分かるよ
(例)
A「小学生のころ、おばあちゃんが癌になって亡くなったんだよね」
B「ああ、身近にいるから分かるよ」
A「えっ、何が?」
B「最後は痛くて苦しいから、病院で麻薬使って死ぬんでしょ」
この例は極端ですが、相手の事実をふまえず「癌って痛くて苦しくて」と勝手に決めつけることが極めて失礼なことです。
それでも、こうやって「分かる」と言ってしまうことには、こんなことが隠されているかもしれません。
1:知っているアピール(ああ、それね)
2:軽く扱いたい(よくある、大したことがない話としたい)
3:善意から分かるといい、相手を安心させたい
でも、その善意は事実に支えられていません。だからこそ、言われた側は「こいつ勝手に決めて話をして・・」って思っているのに、言っている方は「役立つ気」満々。だから、ずるいんです。
分かるもだめ、分からないもだめ。
じゃどうしたらいいの?
それは、「自分が知っている知識や経験」を置いておいて、まずは実際困っている人に目を向けましょう。
そして、「私はこれだけのことを知っているんだけど、あなたはどう感じているの?」と相手と対話していくことが大事なんです。
差別なんて、無くならないよ
「差別ってさ、どうせ無くならないんだから、努力しても無駄じゃない?」
差別が全くない社会。それが理想ですよね。
でも、差別0社会が本当にあるのでしょうか。確かに、私も差別0の社会は今後もないと思います。でも、だからと言って「努力が無駄」と言うわけではありません。
例えば交通事故。
交通事故は0 にすることはできませんが、交通事故が限りなく少なくなるような努力をしなくても良い、と思っている人はいないでしょう。
実際、交通事故は2005年ごろと比較すると激減しています。それは、何もせずに減ったわけではありません。道路整備、交差点改修、交通教育、車の開発、飲酒運転などの法整備。色々な努力の積み重ねが、この交通事故を減らしてきました。
全く無くならないことは、なくそうとする努力が無駄であることを意味しません。
じゃあ、どうして「差別」に対してこのようなことを言うのでしょう。それは、
差別に無くなってほしくない、または これからも変わらず差別をしたい、と思っているからこそ、「差別は無くならないから努力は無駄」と言う言い訳をしている、だからずるい言葉です。
この言葉がきた時にはどうしたら良いのでしょう?
この著書では
「でも、あなたは差別があったほうが良いと思っているわけではないですよね?」と質問し、「じゃあ、差別を無くする努力は無駄じゃないですね」と返しても良いでしょう
とまとめていました。
著者の社会学者・森山さんのインタビュー記事はこちら
クィア・スタディーズが専門
の社会学者の方で、とてもわかりやすい言葉で落とし込んでくださいます。
この著書もとってもお勧めです。
※このスライドは2021/03/27あいら福祉まつりの講演会の一部で使用させていただいた内容です。
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