「ざっくり分かりたい」あなたへのACPマップ
まえがき
ACPって、なんだかよく分からない。
なんだか文章だらけで、定義も曖昧なものがずらずら出てくるから。
えっ。ACPって定義がいっぱいあるの?
どういうこと?定義が色々あるのに、どうやって理解したらいいの?
・・・そんなあなたに。
『ざっくり分かりたいあなたのためのACPマップ』を作りました!
ええ、ざっくり とです。
以前のバージョンはこちらをどうぞ。
この地図を見れば、ACPがどこの話をしているのかが一目瞭然(のはず!)
この地図は、上の方が「医療」のことで、下の方が「生活」のこと。
左側が「子ども側」で右側に行くと「死」に近づきます。
DNARは心肺蘇生をしないという医療者の指示
まずDNAR。Do Not Attempt Resuscitationの略で、蘇生(Resuscitation)を試みない(Do Not Attempt)ということを意味し、具体的には「医療者が出す、心停止しても心肺蘇生を行わないことの指示のこと」を指します。主語は「医療者」であることがポイント。
それに、蘇生の可能性がない場合に蘇生を試みないという意味であり、このDNARには点滴や胃ろう、透析などの話は含みません。
もちろんこれは医療者が勝手に指示を出す訳ではなく、DNARの指示については本人・家族の想いを聴きながら話し合う必要があります。
リビングウィルは自分で書く医療の希望
よく聞くリビングウィルって何でしょう。
「あらゆる手段を使って生きたい」と思っている多くの方々の意思も、尊重されるべきことです。一方、チューブや機械につながれて、なお辛い闘病を強いられ、「回復の見込みがないのなら、安らかにその時を迎えたい」と思っている方々も多数いらっしゃいます。「平穏死」「自然死」を望む方々が、自分の意思を元気なうちに記しておく。それがリビングウイル(LW)です。
引用: https://songenshi-kyokai.or.jp/living-will
こちらは主語が「本人」であることがポイント。本人だけでこのリビングウィルは完結することが出来ます。しかし、このリビングウィルには大きく3つの問題点が指摘されています。
1:Yes Noだけでは理解されない事前指示
本人だけで決めた内容は、医療者や家族に理解されないことがあります。理解されないと・・・そもそも「リビングウイルに従わない」ということが起きてしまいます。
2:そもそも気付かれない
仏壇に丁寧にしまわれたリビングウイルがお亡くなりになった後で発見されるケースがありました。そもそも、その書いたリビングウイルを共有しておかないと気付かれないリスクもあります。
3:法的担保がない
日本では法的担保がないリビングウイル。貴方が「こういう治療をしてほしくない」と書いたとして、従わなかったからといって誰かが法的に裁くことはできません。ちなみに他先進国では法的担保がなされています。
これは「リビングウィルが意味がない」ということではありません。
「リビングウィルはACPの中に含まれるもの」として考えることで、リビングウィルが生きてくるのです。
さあ、やっと出てきたACP。つまりどういうこと?
ACPはこれからの医療・ケアの話し合い
ACP(advance care planning)、ACPは最初に挙げたように定義がさまざまな表現をされています。
でも「ざっくりと」言うなら、「自分の最期を考えた医療やケアをみんなで話し合うこと」をACPと呼びます。
ここで大事なことは、ACPはDNARやリビングウィルを包括しているということ。つまり、リビングウィルを書く過程はACPに含まれることになるし、DNARを決めるための話し合いもACPに含まれます。
本人だけで決めることでもなく、医療者が勝手に忖度することではない。元気なうちから、自分の人生の最期を考えながら話し合いを進めていくこと。最期の時期が近づいているなら、具体的に医療者や代理人と共に「何をして欲しいのか」「してほしくないことは何か」だけでなく、貴方が大事にしていることなどをその理由と価値観を含めた話し合いをしていくことがACPです。
ここで、多くの医療者が誤解していること=「ACPは延命治療をしないということを決めることがゴール」ということ。
ACPは何かを決めることが大事なのではありません。大切なことは「大切な人や医療者と共に、自分が大事にしていることを伝えること」。そのためには、いろいろな話をいっぱいしていく必要があります。
自分の最後を考える時、医療介護より大事なこと
ACPについて理解していただけたでしょうか。医療やケアについての話し合いをみんなでしていくこと、大事ですよね。
でも、この話は「自分の最期を考えた話し合い(EOLD, End Of Life Disuccsion)」の中の1つにしか過ぎません。
「自分の最期を考えた話し合い(EOLD)」には、
1:医療・ケアについての話し合い(ACP)
2:非医療・ケアについての話し合い
があります。
ー 私たちにとってどちらが大切な話し合いなのでしょうか。1?2?
なかなか向き合えない、最期のこと
私個人の考えでは、どちらかといえば「非医療の話し合い」の方が大事です。医療者には申し訳ありませんが・・。
自分が居なくなった後に誰かに負担をかけたくない。心残りになることを早めに行いたい。胃ろうをするかどうか、よりもそちらの方を決める方が優先順位が高い、そんな人って多いんじゃないでしょうか。
でも、なんとなく縁起でもない、と言って話したくないですよね。ましてや、身近にいる大切な人だからこそ話しにくい。そんなことありますよね。大事なんだけど。
自分の最期を考えるのに必要なのは、死生観
そもそも「自分の最期を考える」のって、とても難しいことだと思うんです。
そこを支えているのが『死生観』。人は、生まれていつか死ぬ。そういったことを自分ごととして考えることがなければ、そもそも「自分の最期を考えた話し合い」が始められません。
でも「死生観の話し合いをしないといけないの?したくない人もいるでしょ?」と思った貴方もいますよね?その通りです。
すぐに死生観を人に話すことなんてできないし、そもそも死生観を教えてよ!と言われても伝えられるものでもありません。
知りたくない、考えたくない方への配慮のできないACPなんて、”玄関の鍵をこじ開けて土足で上がり込んでくる無礼者”レベルの問題です。
(で配慮できないのに当たり前に振る舞っている医療者も多いので注意)
貴方の大切な人が身近で亡くなったり、芸能人などの死などを通じて、ひっそりと、でも徐々に育まれる死生観。話したくない人は話さなくて良いのです。でも、話したい、考えたい、伝えたいと思ってもうまく言語化できないのも「死生観」ですよね。だからこそ、『もしバナゲーム』などのツールを使って、元気なうちから死についての意識をしていったり、『縁起でもない話をしよう会』などの会に参加をして語ってみたりすることをお勧めしています。
私、ひっそりともしバナマイスターです。鹿児島の三人のマイスターは、私のお友達!
最も広い概念、アドバンス・ライフ・プランニング
もっと広い概念である、アドバンス・ライフ・プランニング(ALP)についてお話ししましょう。
小学生が「サッカー選手になりたい!」と言っています。よく聞きますよね。でも、残念ながら本当にサッカー選手になれるのは極々わずか。どこかで予定を変えていかないといけなくなります。その度ごとに今後の見通しを考えながら「どう生きていくべきか」を考え、変更していく。そして、生命保険などに入ることを通じて「自分がもし死んでしまったら・・・」を考えながら、人生設計を組み上げていく。これが、アドバンス・ライフ・プランニングです。これはACPはもちろん、「自分の最期を考えた話し合い」も全て包括したプランニング、です。
こう考えると、とある生命保険会社の「ライフプランナー」って素晴らしい存在だなと思う訳です。その人の人生の伴走者となり、想いを聞き、紡いでいく。生命保険を強く勧める訳ではありませんが、そういった関わり合いがあることを知っておくだけでも良いと思います。
そして、アドバンス・ライフ・プランニングはすでに貴方が今までに行ってきていることであり、もしくは今行っていることだということをわかっていただけますでしょうか。
医療者が決めたいと思っていること
ここまでの情報を理解していただいた上で「医療者が何を知りたいのか」を考えてみます。
医療者が、貴方のことで知りたいことは、「貴方が意識が無くなって決められなくなたっときに、心肺蘇生などの医療ケアを決めておいてほしい」ということ。
だから、ACP=延命治療をする・しない、胃ろうをする・しない を決めること、と誤解している医療者が出てくる訳です。だって、医療者が知りたくて、困っていることは「ここ」だから。
『ACPは何かを決めることではなく、その人の思いを紡ぐことである』
と言いつつ、一方で看護師から「先生!早くACP取ってください!」と言われることになること、理解できるのではないでしょうか。
これは間違っている訳ではなく、どの部分を聞いているのか?の違いです。地図を見れば、一目瞭然ですよね。
だから、俯瞰的に見ることができる地図が必要なんです。
死は、終わりではなく始まりでもある
本人のことだけを考えれば「死」でその人のストーリーは終焉を迎えます。
ただ、死して、始まることがあります。それは、
家族です。 家族は、その人の死をもって”遺族”と呼ばれる立ち位置になります。遺族としての人生は、その人の死がスタートとなる。だからこそ、そこに医療者は格段の配慮をしないといけない。そして、そのスタートをどのように遺族が始めることができるのかは、ACPの取り組み次第で変わってくると思うのです。
普段から人生の最終段階について考えている変な医者(私)はともかく、私たちは普段から死を意識して生活をしないことがほとんどです。
でも、人生はいつ急展開を迎えるかわかりません。突然、死生観を問われることもあるでしょう。
でも、いつその死生観を聞けば良いのか? 医療者・医師はタイミングがわからず、本人にとってあまり意味をなさない抗がん剤治療を続けられることも見てきました。
ACPを行うにあたって、医師は「ACPの話し合いをするタイミングを取り仕切ること」が大事です。逆にそれ以外は、ケアマネージャーや看護師、MSW、介護職、相談員の皆様が主体的にするべきであると考えます。
また、元気なうちから死生観を考えることができるような地域。それは、死を考えてばかりの暗い地域ではなく、死を意識することで生を限りなく有意義にしようと考えるイキイキとした地域なのではないでしょうか。
ACPの地図、いかがでしたでしょうか。
医療だけではなく、もっと俯瞰的に地図を作り替えてみました。貴方のACPの理解が「ざっくりと」俯瞰的に見えるようになっていますように。
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