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雑記 2025/01/26 マルサの女、伊丹十三、マイブームのこと

12月の「文学フリマ東京」で伊丹十三本を買って以来、ヨは空前の伊丹十三ブームとなった。
ヨは、漢字で書けば「余」。それはわたし。つまり、マイブームです。

伊丹十三映画。それは'80~'90年代日本映画の金字塔。
いまだサブスク解禁されてないんですよね。

と書くと、まるですべての道はサブスクに通ず、勝手に、サブスク解禁が規定コンベアだ、という思想になるが、映画って別にそうじゃない。むしろサブスクがいかに氷山の一角であるか! を、わたしたちはしらないといけないわけです。
いまのところ、日本映画専門チャンネルなどで放映された際か、余のようにブルーレイを買うか、あるいは空前の/風前の灯火、のようなレンタルビデオ店に行くかしないと見れませン。

そんな人はなかなか、、、と思っていた折、マイブーム行き尽きて『マルサの女 オリジナルサウンドトラック』レコード(レコードの日2022年再販!)を買って誰にわかるねんと見せびらかしていると、
「あ!マルサの女だ!」
と叫ぶ人あり。バイトメンバーにあり、その人はゲオで高校時代、伊丹十三を履修したとかなんとか。
見る人は見る。

「僕、本田俊之が好きで」

ちゃんと、『マルサの女』と言っていた。ヤマサのちくわ、のイントネーションで発音していたのである。
そう。「マルサ」は”国税局の査察部”の謂い=「◯査」ですからね。
だから「悪さ」のイントネーションはまちがいなんですヨ。
見る人は見る。

しかし本来、見ない人も見るくらいエンターテイメント作品なのが伊丹十三映画なのだ。

わたしも、実のところ伊丹さん死去後におそらく放映されたのだろう金曜ロードショーで『マルサの女』『タンポポ』『スーパーの女』を観た小学生の記憶しか、ほぼなかった。
それだけで、べらぼうに面白かった。

次の記憶は、それぞゲオで借りた『お葬式』。
これまたべらぼうに面白く、なおのこと『おくりびと』2008年のブームの頃であったため、件のような死者への悼み、あるいは悼むわたくしの心の清浄になることよ、みたいなロマンチシズムがあまりにもない、生者の方のドタバタに終始した『お葬式』に、快哉を叫んでいたものだった。

「早稲田松竹で二本立てにするべき」

『お葬式』1984年にはじまり、『マルタイの女』1997年まで10作品。
ブラックフライデーセールからお正月松の内までのおよそで、
3作目『マルサの女』から、10作目『マルタイの女』までの8本を観たんですな。
『マルサの女』1987
『マルサの女2』1988
『あげまん』1990
『ミンボーの女』1992
『大病人』1993
『静かな生活』1995
『スーパーの女』1996
『マルタイの女』1997

(金曜ロードショーのあと2作はあとまわし)

これは、自分の体力気力をわかった身から言って、相当な数字です。
ひるがえって、自分で自分に「面白かったんだなあ」と思う所以。


伊丹映画は情報映画、とも呼ばれる。
いや、呼ばれてないかもしれないが、
『マルサ』(税務調査)
『ミンボー』(暴力団のタカリ)
『スーパー』(スーパー)

といった、
”知ってはいるけどよく知らないもの”
の内情を、徹底取材し、
ヘェーッ、こーんなふうになってるのねーッ、と見せてくれるエンターテイメント。

この路線は、直接の仕事関係もあった周防正行監督(『Shall we ダンス?』)が引きついでもいるし、同じくアルタミラ・ピクチャーズの矢口史靖監督も(『ウォーターボーイズ』以降)、その栄養をいただける人だ。


で、も、伊丹十三はそういう映画の人ですよね、とだけまとめるわけにはいかない。
あたりまえですね。




この項つづきますが、だいじなことをひとつ。

わたしは、noteを使うにさいし、noteっぽいことを書かなければいけないっ、ということを、けんめいに無視しようと、思っている。

あと、canvaを使ってサムネを作りましたが、
「canvaを使ってデザインする」って、
こういうことじゃ、ないと思う。

そんなサムネ。



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