雑記20/07/10金 映画『劇場』の宣伝文句、小説『火花』の宣伝文句、SNSでバズったあとの宣伝文句、現代の倫理感

 

これはおとといの話の続き 結果的に。

・・・

ピース又吉さんの、長編2作目?にあたる『劇場』が映画化された。
7月17日公開だそうで、予告編を流している。

内容はともかく
このナレーションの、言葉の重複ぶりは何なんだろう? と気になった。

  夢を叶えることが、
  君を幸せにすることだと思ってた――

この「こと」はまだいいのだが、次

  うまくいかない日々に、
  もがき苦しんだ日々――

この「日々」のかぶりはおかしくないか?


ナレーターの読み方は「~な日々に、~な日々、そんな日々もあったねと、いつか笑える日が来るさ」的な、「並列」としてのものではない
うまくいかない日々 ← に 対して、もがき苦しんでいる
「目的語」的なものである。

だから、「日々」に対して苦しんでいる「日々」が重なってくるわけで、時間感覚は4次元なのか。

たとえば「うまくいかない毎日に、もがき苦しんだあの頃――」
なら、言葉上の矛盾はないだろう。面白いかはともかく。


どうしてこれに反応しているかというと、なんだか見せてくる側から、「ナメられている」ような気配を感じるからである。
映画から、というより、
「宣伝戦略チーム」から、だ。

公式サイトの「INTRODUCTION」には、もっと堂々としたナメっぷりが披露されている。

無題2


「観た者の心に永遠に残る恋愛映画」


百発百中で?

しかし、そんな文言を恥ずかしげもなく掲げるのがこの宣伝チームなのであって、

しかもそれは、もちろん、わかってやっている。

「これは言葉そのままの意味というより、この映画の魅力を伝えるために、この映画を観てほしいお客さんにアプローチするためのメッセージですよ」とか。とかとか。

大嘘を堂々と言っている気分は、どこに捨てていくのか。

それともハナから、堂々と言った言葉でも、人には話し半分以下で捨てられると高をくくっているのか。。。



さらに、前例がある。

これは「チーム」は違うだろうが、同じ又吉さん作品、
それも小説そのもの。
『火花』につけられた宣伝文句だ。

これを電車内のポスターで見たときは、本気で腰を抜かしそうになった。

無題2


「笑いとは何か、人間とは何かを描ききったデビュー小説。」


文学のおわり!


こんな言葉を、文藝と名のつく出版社が載せているのは、もう暗黒時代というか。
文学はずっと、人間とは何かを、探してはまた先を見つけ、見つけして、延々と答えの出ない問いをし続けてきたはずで、
もしこの言葉通りの小説だとしたら、それは文学の終わり・答え・終着点・アガリなわけである。

人間を、描ききっただって?

笑いも、描ききっただって?

このキャッチコピーに異議をとなえないのは、それはもう、芸人としての含羞だろう。
だって恥ずかしすぎるよ、この「売らんかな」精神は・・・。触れたくないだろう。

それとも、「笑いとは何か、人間とは何か」という”疑問文”を、描ききったという意味かもしれないが。

そんなことを言い出すやつに文学なんてあるか。



あともう一つ。

昨年、渋谷の大規模工事のパネルに描かれたイラストが話題になった。ふだんパッと見で通りすぎるようなものだが、実は迷子の犬と、飼い主の女の子、それぞれのパートにわかれており、
順番に歩きながら見ていくと「はぐれ」から「再会」までの、感動のストーリーになっているのだった。


ツイッターでパネルをぐるーっとすべて動画に収めた人がいて、多くに知られることとなった。

それはとてもいい話だったのだけど、そのあとのいわゆる「バズったので宣伝します」で、その人が繰り出した言葉がすごかった。

いわゆる小劇場の人なのだけど、自分の劇団を紹介したあと

「初めて観るという人でも確実に面白い劇団です」




だから、「倫理観」ってやつは、いま、どこにあるんだろう。
ということを、今日は描ききった。

『わたしの名は赤』、まだ読みすすんでない。


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