雑記20/12/27(日) 20世紀から21世紀、ネット上の「どうでもよさ」が個人ブログからネットニュースへ移行しました
前も書いたけれどこのnoteというブログ、ブログって言わないで多くの人は「note」と固有名詞を直で言うこれに、ちょっと違和感をもっていて誰っておれが、その違和感というのは、
むかしのインターネット上のブログの、あのすばらしいどうでもよさ、が掻き消えていっているからなのです。
インターネット上のブログ、芸能人が一日の更新回数を競ったあれ、よりももっともっとむかしは、どこかの誰かの知らない人の日記というか、勝手な自由研究というか、
とにかく、書きたいだけのどうでもいいものがたくさんあり、そしてそれこそが、あのどうでもよさこそがブログの醍醐味だと思っていた。いや、醍醐味だった。
断言できる。
ひとが、浅く考えて垂れ流した文章を、読む。そこから何を汲み取るかは勝手であるし、書いた本人も、汲み取らせたい何かがあるわけでは別になかったりする、そのすばらしさ。
別にまだなくなったわけではないが、見つけにくくなって、どんどんどんどんネット上は累計して通算してテラバイトが増えていく、
いつしか、インターネットというのは夢の場所ではなくなり、勝手な場所でもなくなり、監視網と妬みと嫉みと承認欲求といい話とネコとイヌとおもしろドッキリ映像とハッシュタグ大喜利の塵の山になり、ひとはヒト(他人)の目を知った。
ひるがえって、このnoteという場所は、とても読者のことを考えていこうというコミュニティで、人のためになる、人をエンターテインしよう、コンテンツろう、そしてビズにつなげよう、的な思想でやっているっぽいやつだ。そうなんですよね。
ネット上の、他人の目を内面化しない、どうでもよさ。
今さっき「かまいたちYouTubeチャンネル ねおミルクボーイ」を見ていた。
山内さんが、このYouTubeで話したことはすぐネットニュースになるけど、MBSラジオの番組で話すことは全然ならない、と話していた。
それはネットニュースのライターが、つまり見て(聴いて)ないからなんだろうなあ。とおれは思った。
というのはつまり、ネットニュースのライターって、ただ一視聴者(聴取者)であって、自分がメディアから得た情報を、文体をニュースっぽく書いているだけで、
ネットニュース(のうちの半分くらい)の内容のどうでもよさ、というのはおそろしいものであるけれど、
それはつまり、
いつのまにか「昔のブログ」のどうでもよさが、一般人の無償の何かよくわからないモチベーションでなされていたそれ、から移行して、なぜか報道機関感を出しているネットニュース、という場所で、いくらか知らないが原稿料?を払われながら、PV、プロモーションビデオ、と今は言わないMV、ミュージックビデオ、でもないページビュー数を稼ぐためのあれとして生きている。
そのタレントのファンなら自分のブログに書くかもなあ。
というものが、ヘッドラインとしてニュースとして、配信、などという行為名をつけられて流れ出す。
そこにネット上の「どうでもよさ」が移行して凝集(ギョーシュー)した。
そんな2010年代、20年代。
なのかもと思った。
知りあいが、「検索されそうなワード」の説明ブログを書く、というバイトをしていたらしい。
あの「「検索されそうなワード」の説明ブログ」
すっげーきらい。
というわけで
「「検索されそうなワード」の説明ブログ」について調べてみました!
2000年代生まれなんですね!
女性か男性かは非公表とのことです!
PV数によって報酬が変わるのは意外ですね!
終。