雑記20/07/04土 怪談ライブ、語り芸の様式、テク、落語のようにカミシモを切っていいのか
怪談ライブを観た。
怪談ライブというのは、怪談を、一人ひとり出演者が披露していくライブだった。舞台上にひとりで、語って、終わってハケて、また次の人がひとりで語る。
聞いていて気づいたのは、怪談というのは、怖い話、という外枠のなかに、話の牽引力として、ミステリー、サスペンスの要素を強く持っているということで、
「その手紙、差出人が書いてなかったんですよ・・・」→ミステリー
「そこでガタン!っと音がして・・・」→サスペンス
みたいな。
話の先が気になる、というのは、純粋に怖いだけではなくて、そうしたテク、
テク!
も多分に含むのだろう。
(※だいたい、「純粋に怖い」って何だ。よく「これじゃホラーじゃなくてスプラッター」と言われちゃう映画なんかあるが、ホラーって? Jホラーって?)
怖い話は、大概、聞くものを、その場に居合わせるような気持ちに誘い込む。
それについて、カミシモを切る語り手さんもでてきた。
これもテクの話である。
カミシモを切る、とは、
落語などで、登場人物を演じ分けるために、
舞台の上手側(向かって右)を向いたらこの人のセリフ、下手側(向かって左)を向いたらこの人のセリフ、というふうに、
ひとりの演者が複数人を演じ分ける際の、演じ方と見方のルールである。
これを、「怖いことを体験してきた人」が、
「その体験を、その時の感覚を身に帯びながら話す」
というときに、繰り出してくるのは、
ちょっと笑っちゃったんですよね・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
なんで、演出をつけてるんだろうなぁ、というか・・・。
落語という、形式とその見方の地場・フィールドが長い時間で出来上がっているものは、どんな変な挙動でも、それが地場に沿っていれば、見たものの中に効果を及ぼすのですが、
実話怪談、という話芸は、そういう観る側の「変換」「翻訳」のルールが、
あるのか、ないのか、わたしは知らなかった。
落語じゃないんだから、
っと思ってしまうのは、意地が悪いが・・・
様式というのはむずかしい。
お話はすごく面白かった。いや、怖かったというべきか。