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佐山ミカ

その日は雨だった。
僕はレインコートを着て、行き交う人を眺めていた。
ここまで至るにはある経緯があった。
僕は数ヶ月前まで実家にほぼ引きこもっている30歳の男だった。
ゲームが大好きで働きたくないとかうつ病で働けなくなったとかそういうわけではなく、僕は非24時間睡眠覚醒症候群という障害があり、これは睡眠の時間帯が毎日30~60分ずつ遅れていく障害のことをさす。
僕の場合は60分、つまり毎日一時間ずつ睡眠時間が遅れていくのだ。
つまり、昼の仕事、夜の仕事、共に雇って貰えるところがなかった為、単発のアルバイトなどをして生活していた。
しかしこんな生活はいつまでも続かない。親だっていつまでも元気なわけではないのだ。
僕はハローワークやらインターネットやらで、どうにか継続して働けるところはないかと必死に探した。
だが、完全な不定期を希望する僕を雇ってくれる企業などは存在しなかった。

そんな話をたまたま地元に帰ってきていた友人に零したのが数ヶ月前。
そして友人の「じゃあさ、俺の店で働かない?来れる日だけでいいからさ。昼間動ける周期は分かるんだろ?人が足りないんだよ。」という言葉で僕の職が決まったのも同じ日だった。

友人の店というのはいわゆる「インターネットカフェ」というやつだった。
そしてそこでの僕の仕事は路上で大きな看板を持って数時間立っていること、だった。
こうして僕はある程度継続的な職を得て、今まさに雨の中レインコートを着て路上で看板を掲げているのだ。

しかし、立ち仕事自体は単発のアルバイトでもやった事があったが、最初の頃は数時間何もせずにただ立っているというのは思いのほか辛く、さながらロシアの兵隊を思わせた。

だが人とは慣れていくもので、数ヶ月経った今では人間観察をして過ごしている。
通りは様々な人で溢れている。くたびれたスーツの目のしょぼついた男性。これからホストにでも乗り込みそうな派手な服装の女の子…。
その中で一人、ガラス越しに目が合った。
気がしたのはおそらく僕だけで視線はすぐにそれる。
ガラス越しに、というのは「彼女」がガラス張りの店の中にいたからだ。
店の看板とショーウィンドウに飾られた商品を見るかぎり、どうやら巷で流行りの電子タバコの店のようだった。

彼女は決して目を引くような外見ではなかった。短い黒髪をひとつに束ね、伊達眼鏡のような大きな丸い眼鏡をかけた小柄な女性だ。
しかし僕は、僕を居ないものの様に通り過ぎる人々の中で唯一重なった視線に特別なものを感じた。

そうだ、今日は彼女がどんな人なのか考えてみようと思い彼女の動きを観察してみた。
それから数日彼女を観察してみて分かったことがいくつかある。
彼女はよくドアの側に立ち、入っこようとする客のためにドアの開閉をしている。
ドアの外を見る彼女の表情はぼんやりとしたものだが、客が来るとその表情はパッと明るくなり「こんにちはー!」と挨拶をして店内へと誘導する。
彼女自身ドアを離れ接客をすることもあるようだが、水の入った小さなペットボトルやら、なにやら小さな黒い箱やら、時には電子タバコ本体をボトボトと落としており、だいぶ不器用な様が伺えた。
そして僕が描いた彼女はおっとりとした不器用な女性、という形で固まった。

しかし時間は無限にある。
僕は彼女の人柄を勝手に妄想することにした。
例えば、彼女の趣味はSNSで化粧の紹介や、ダンスを見ることで、月末の給料で新作の化粧品を買おうと思っている。など。
女の子は化粧品が好きだろうという男の妄想丸出しだが、実際妄想にすぎず、彼女がそれを知ることはないのだ。

そうこう考えて数日が経過し、僕はとうとう彼女に勝手な名前をつけた。
彼女の名前は「佐山ミカ」
佐山は僕の母の旧姓で、ミカは中学の時に好きだった女の子の名前だ。(他に女の子の名前が思いつかなかった)
佐山さん(仮名)はいつも午後から出勤し、店が閉まるまで働いている。
おそらく午前中には別の仕事をしたりしているのだろう。
一回りほど年下のよう見える彼女が、自分とは違い長時間労働しているであろう姿に尊敬の念と、障害さえなければという悔しい気持ちが込み上げてくる。

僕は彼女を観察するのをやめた。
自分の障害と向き合うのが辛かったから。
その日も彼女は店が閉まるまでいたが、店の方をみないようにしていた。

とん。

肩を叩かれた。よく道を聞かれるのでまたかと思い振り返る。

佐山さんがいた。
僕は困惑した。なぜ彼女がここに?なぜ僕の肩を叩いのか?まさか僕が観察していることに気づいて問い詰めに来たのか?
様々な思考が駆け巡る。
彼女はこう言った。

「あなたのことを小説に書きたいんです。もし良ければ労働時間や考えていることなど教えてもらえませんか?」

END

非24時間睡眠覚醒症候群については正直聞きかじった程度しか知らないので、当事者の方や関係者の方を不快にしてしまったら申し訳ありません。


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