自他の「ついで」における互酬性
『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』 小川さやか
ふむふむ、、
・相手が何者で何をして稼いでいるのか、なぜ彼/彼女は私に親切にしてくれるのかといった問いと切り離して、共に関わりあう地点を見つけられるのは、彼らが商売の論理で動くからである。逆説的に聞こえるかもしれないが、誰もが、俺たちは金儲けにしか興味がない、金を稼ぐことは良いことだ、俺たちはどんな機会も自らの利益に換えてみせると公言しているからこそ、気軽に助けを求められるのだ。相手の求めを以下にしてwin-winな利益に変換するか、誰かとともに生きる人生の楽しみに変えるのかは、個々の商売人としての才覚にかけられている。私はここに資本主義経済に対抗する地点に贈与経済あるいは分配の仕組みを構想するのではなく、贈与経済や分配経済が潜在的に持っている負の側面を資本主義経済によって動かしていくヒントが隠されていると考えている。
→これ読んでから、タンザニアに行ったら、見え方違っていたかも、、
・ いざというときに頼る会いてとの関係を、いつも常に互酬性を基にして理解すること、助け合いをコミュニティに根ざして期待することにも限界があるように思われる。
フランスの人類学者マルク・アンスパックは、『悪循環と好循環』という著書で「相手も同じことをするという条件」で成立する相互性(互酬性)について論じている。助け合いは、「彼/彼女を助けたら、私が困ったときに相手も同じように助けてくれるだろう」と期待しあう好循環の互酬性だ。だが相互性には、「やられたことをやりかえす」という復讐の連鎖、悪循環の相互性もある。アンスパックは、好循環の相互性のためには、相手に自発的に贈与(貸し)を与え、相手との未来の関係を信じて「賭ける」ー初めにリスクを引き受けるー必要があり、かつ好循環を維持するために、互いが相手に対する「借り」の感情を持ち続ける必要があるという。
アンスバックの議論の面白さは、こうした好循環の互酬性が以下に容易に悪循環の互酬性にスライドするかを説明しているところにある。
・ 私は、贈与によって誰かに負い目と権力が生じるのが嫌なのだ
→激しく同意。
・ 自分自身がなんでもこなせる人間、完璧な人間になるべく努力して、自身の可能性に賭けていく、或いは、価値観や資質の似通った少数の同質的な人間と深く関わり、そこでの互酬性、応答の義務にきちんと応答していく代わりに、なるべく多くの能力や資質、善悪の基準、人間性の異なる相手と緩やかにつながり、他者の多様性が生み出す「偶発的な応答」の可能性に賭けることは、「異質性や流動性が高くて、誰かが答えてくれるかわからない」という状況における戦略として不合理ではない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?