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浜松葬儀株式会社【公式】ブログはじめます!


初めまして!浜松葬儀株式会社【公式】ブログ担当のスピースと申します。この度本ブログの担当となり、頑張ってまいりたいと思います。まずは、いまさらながらブログを始めるに至ったかをお話ししたいと思います。昨今の情報収集の媒体としてNo1と思われるのが「インターネット」です。もちろん、TVや新聞、人づてなど旧来の情報源も健在ではありますが、情報量・スピード感、手軽さなどは「インターネット」にはかないません。この情報発信媒体を利用して、弊社が感じていることや、弊社自体の事柄について多くの皆様に知っていたきたいという思いが一番です。もちろん、宣伝ばかり行うのではなく、お客様よりいただく質問や疑問などご覧いただいている皆様が知りたいことも積極的に発信していきたいと考えていますので、よろしくお願いいたします。

浜松葬儀とは

浜松葬儀創業時の事務所

浜松葬儀株式会社は昭和42年11月に現在の浜松市中央区冨塚町に個人事業として串 史郎により開業されました葬儀専門会社です。その当時は、『葬儀屋』は縁起の悪い商売として受け取られる時代で忌み嫌われることが当たり前だった時代でした。
創業者の串 史郎は戦後の様々な経験と、大学卒業という当時としては珍しい学歴の持ち主で奇抜なアイデアを持ち、小さな建物は自ら建設するなどの器用さを持ち合わせた人だったようです(写真の建物も自ら建設)。

 冠婚葬祭など儀式事をトータルで施行する会社も数多くありますが、浜松葬儀は葬儀専門の会社としてスタートしていきます。
 その当時は家族で運営し、葬儀施行も月に数件程度だったようです。

昭和45年には、個人事業主から株式会社へと法人化し、現在に至るまで事業として順調な成長をしております。

 創業者である串 史郎は昭和51年に当時としても珍しくなっていた結核にかかり、事業と治療との折り合いがうまくいかず54歳という若さでこの世を去ることとなってしまいます。その後、配偶者であった串 律子が2代目の社長に、昭和58年には長女 串 美代子が3代目、平成30年には現社長 串 嘉が4代目社長就任し、串家にて代々受け継がれる法人となっています。

お葬式形態の変化

浜松葬儀創業の前後(戦前戦後時代)浜松では(地域によってかなり差異があります・・)、お葬式は近隣住民(ローカル用語で隣保(りんぽ)が取り仕切り、組内の住民が、お寺や葬儀用具、料理や引き出物などの買い出しなど全て行っていたようです。

極端な話、喪主(施主ともいう)はお金を隣保の会計係に預けるだけ。準備から施行までは隣保の方々が行うのが当たり前だったようです。なので、当時の葬祭業は『葬具屋』と言われ、道具のレンタル会社のような状態だったようです。

浜松葬儀開業の昭和中期辺りの時代では、設営から施行自体を代行する現在の葬祭業の原点となるような時代へと変化していきました。隣保さんから葬儀の依頼を受けると祭壇や葬儀用品、引き出物、料理と決めていただき浜松葬儀で自宅まで搬送して設置、施行するようになっていきました。
まだ、このころでは香典の受付から葬儀費用の清算まで隣保さんが行うのが当たり前だったようです。

昭和後期には、喪主さんが葬儀会社に依頼し、喪主さんと葬儀会社で葬儀の打合せから精算まで行う現在のスタイルに近づきました。お葬式の施行はもちろん自宅で行いました。葬儀会社が自宅へ駆けつけ、祭壇の設置、花環や庭飾りの設置まで代行します。

お葬式が終わったら最後の後片付けまで全て葬儀会社で行います。隣保さんは、香典の受付係や留守番、駐車場整理など補助的な仕事だけ対応するようになっていました。より、現在のスタイルに近づいていました。

葬儀会場が自宅から葬儀場へ

弊社ホームページより

平成に入ってから大きな変化が訪れるようになりました。
今までほとんどのお宅が、自宅でお葬式を行っていましたが、葬儀会場を利用してお葬式を行うようになってきました。


もちろん、一部の著名人などは寺院やホテルなどでお葬式を行うことはありましたが、稀な例でした。

浜松市内でも一部の葬儀会社しか保有していなかった葬儀場の建設ラッシュが始まっていきました。浜松葬儀がその火付け役といっても過言ではありません。
平成3年に本社兼葬儀場の「はまそう会館 天上界」が建設されるのを筆頭に、平成の25年程度でトータル14会場を展開するに至りました。

他社も同様の動きが広がり、現在では浜松市内に大小60か所程度の葬儀場が存在するまでに至りました。

 これに合わせて、平成初期には通夜は自宅で行い、お葬式は葬儀会場で執り行う流れが多かったのですが、現在では通夜・葬儀ともに葬儀場で執り行うことが98%程度へと変化いたしました。

お葬式形態の変化 ソフト編

葬儀業界の流れを大まかにお話ししましたが、自宅葬儀→式場葬儀とハードの変化が主流だった昭和~平成の時代でしたが、令和の時代に入りソフト面の変化も顕著になってまいりました。

 しかも、この変化はお葬式の根幹を揺るがすことにもなりかねない変化です。

家族葬(かぞくそう)

今ではこの言葉を知らない方がいないくらいになった言葉です。この言葉の発祥は不明ですが、わたくしスピースの推測では、新興葬儀会社が集客のために創設したワードではないかと考えています。

 新興葬儀会社とは、主にインターネット集客を中心に展開している葬儀紹介ポータルサイトだったり、新規参入の葬儀会社のことを指します。

 もちろん、自由競争の資本主義国家なので、どのような集客をしても、新規に事業を興しても何にも問題はないのです。

 ただ、手法に関しては色々と思うところはあります

どんなビジネスでも共通していてるのが、一番簡単な集客方法は低価格訴求です。現代の商売でもあちらこちらで採用されていますね。
 お葬式においても、低価格でお葬式ができますよ!という売り込み文句に使われるのがこの「家族葬」なのです。

 要は家族のみでお葬式を行えば、友人知人はおろか親戚縁者の参列は断りることができ、施行費用が安く済むし、参列者への配慮などしなくても良いから気が楽ですよ。。。ということでしょうか。

もちろん、コロナ禍も大きく影響しています。
ですよね、人寄せ禁止なわけですから・・・

お葬式の根幹を揺るがす変化とはコレなんです。

なんのためにお葬式をやるんですか?といえば、故人様のお弔(ともら)い、いわゆる供養、お別れですよね。
 しかも、現在のお葬式で最重要なお別れの場を省くことになると、そもそもお葬式をやる意味あるの?ってなりませんか????

まとめ

浜松葬儀の創業から、お葬式の変化などとりとめもないブログになってしました。
 次回以降に要所要所、詳しく検証・解説していきたいと思います。

要は、浜松葬儀はそれだけ真剣に、お葬式という事業にこだわりを持って、依頼者様方の付託に恥じることが無いように運営したいと考えていいる会社ですよ、ということを申し上げておきたかったのです。

頑張って、ブログアップしていきますので、よろしく言お願いいたします。

ご意見、ご質問もどんどん受け付けますのでよろしく言お願いいたします。

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