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底辺で貧乏だった状況が実は最高の布石だった
底辺で貯金もなかったあの頃
僕は20代の内、2度ほど電気を止められた経験があります。
それほど貧乏だったんですよ。
浪費癖があるわけではなかったですが、仕事に全力で取り組む気になれない性分だったんです。
当時は音楽活動をしていて、バイトで生活費を稼いでいましたが、そのバイトに打ち込めない。
本職は音楽なのだから(売れてないんですけど)、バイトはなあなあでいいやという感覚です。
シフトも極力入れない。
最底辺の生活費さえ稼げばいいやという発想だったので、ちょっと予定外の出費があるともうマイナスです。
これじゃいかんと思い立ち初めての勉強を
小中高と通して、自宅の勉強机に座った記憶がほぼありません。
それほど勉強はしてこなかったし、両親も放任主義だったのでそれまで問題はなかったんですね。
高校卒業と同時に上京し、音楽で有名になることを夢見ていましたが、そこに向かう努力も今思えば中途半端でした。
バイトはずっと飲食業界で続けてました。
時に料理人、時にホールスタッフと一通りこなしてはいましたが、20代後半のある日突如「こんな生活は変えてやる!」
と思い立ったんです。
で、一念発起してハローワークに向かいました。
職を探すというよりは、3ヶ月の職業訓練校に通い何か知見を得たかったんですよ。
なにより無料で学べるという点も魅力でした。
全然お金持ってませんでしたから。貯金もゼロでしたし、病気になって要手術となった際も治療費がないということでバックレたこともあります。
(医療保険などの制度も全然詳しくなかったので)
┗手に取ったチラシがWEBクリエイター上級育成講座でした
将来の展望や夢ははっきりしてませんでしたが、適当に手に取ったパンフレットがWEBクリエイター上級の講座のものでした。
3ヶ月通って資格を取ろう!というものです。
とはいえPCも持っていない。当時ミクシィが流行ってましたが、友人に招待してもらってもパスワードの設定でつまづく始末。
こんな自分でしたが、なぜかこの3ヶ月間だけは本気になったのか、それは「生活を変えて人生も変えてやる!」というヤベぇ意気込みだったんですよ。
しかし本気の意気込みだったんでしょう、寝る間も惜しんで勉強しました。
自分にあった勉強法は泥臭いアナログ手法だった
職業訓練校に通い始めて2ヶ月ほど経過しましたが、さすがにノートPCは買いました。
受講生の中でPCを持ってないのも自分だけでしたし、なんとかお金をかき集めて買ったんですよ。
けどそれを資格取得の勉強にはほぼ使いませんでした。
自分の行った勉強法は、ひたすらテキストを大学ノートに書き写すというアナログ手法。
htmlやcssも含め、一言一句全て手書きで書き写すというものです。
これを寝ないで行う。たまに2時間ほど横になりますが、後の時間は全てこの写経にあてたわけです。
┗タグは一行フルに書いていた
これが世界史や国語の勉強ならただ書き写すだけで済みそうなものですが、今回はhtmlやcssなどのマークアップ言語がメインです。
大学ノートに写経しているあいだも、これらのタグが出てきたらそこだけは一行埋まるまでなんどもなんども書き写す。
英単語を覚えるのに似てると思いますが、この時は自然と手がタグを記述できるレベルまで昇華しようという狙いがありました。
例えば画像を配置するタグなら
<img src="" alt="" class="">
までをソラで書けるようにする。
こんな感じで、約1週間ほぼ寝ずに書き続け大学ノートは5冊埋まることとなりました。
底辺まで行くと人は動き出す
結果、最初の模擬試験では100点満点中2点しか取れなかった自分が、その1週間後には100点か98点は取れるようになりました。
なぜここまで爆発的に努力することが出来たのか。
それは、「底辺で貧乏な生活から脱却したい!」と強く考えたからなんです。
WEBクリエイターになったから生活が豊かになるということではありませんが、この時は漠然と、
立ち仕事を辞めてオフィスワークをする
毎日お金のことでやきもきしないで済む人生を送る・稼ぐ
ドラマで見るようなクリエイティブでロマンチックな生活を送る
こんな感じのゴールをイメージしたんです。
人はゴール設定ができればそこに邁進するんですよ。
底辺だと感じてもそこから人生は転換期を迎える
その後割とすんなりWEB業界に正社員として転職することが出来ましたが、そこから今日まではずっと同じ業界で働いています。
その間、様々な出会いと別れも経験しましたし、友人・知人も増えました。
結婚もしましたし、子供も生まれ家を建てて3年ほどたちます。
当時のやる気がなく甘々だった頃の自分の発想なんかは今でも思い出せるのですが、大分成長したと思います。
それもこれも、結果的にあの底辺時代を経験したからこそ思うことです。
┗底辺時代が最高の反骨精神をもたらす
たまに考えるのですが、あの底辺時代は現在の布石だったんじゃないかなと思うんですよ。
自分は、良く言えば大器晩成だったんじゃないかなということです。
プロローグとして20代後半までの人生が存在し、その後激変した人生が始まったような気がしてます。
そう考えると、あの自宅のドアに挟まっていた電力会社から届いた赤い紙=「電気を止めました」通知書は、
最高の兆しだったんじゃないかなと思います。
あの時があるから今がある。
今の自分の状況は、過去の自分の様々な決断の結果です。
結果的に、今に導いた決断を下さざるを得ない底辺時代が懐かしくもあり、感謝も感じ、郷愁を誘うんです。
今度時間が出来たら当時住んでたアパートに足を伸ばしてみようかな。
また燃える何かが湧き上がってくるかもしれないので。