二十五投目
現実に耐えられなくなっている人が増えているのだろうか、とぼんやり思う。
アニメやゲームやマンガを愛好する事は最早「オタク」な趣味ではなくなったと言えるほどに一般的だと感じる。
(流石に同人誌やコスプレはまだまだ「一般人」を自負していそうな人達には敷居が高そうなのだが)
宗教法人に関しては内部に入り込む気がないのでわからない。
思想の極化は現実に対するやりきれなさの噴出だろうか。
どういう方向に偏るにしても、安直に事態の解決を望んでいるような気がする。
若い人が世を憂えて熱く語るのは好ましいが、読みの浅さを気づかせられるほどの先達にもなれない自分の未熟さにやりきれない気持ちになったり。
声高に何事かを喚くのは簡単なのだが、己の言葉と行いを揃えるのは難しく、ましてや他人に背中を見せて納得させるのはなお難しくて。
悲憤慷慨には自己満足しかない。
そんな気がする。