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また毎日noteしてみよっかな

 最近になるまで、自分はどちらかというと飽き性ではないほうだ、と思っていた。

 どちらかというと……どちらかというと……一度ハマるとずっとアホみたいにそれを続けていられる性格だと、信じていた。
 それは生まれてこのかた、やめたことがないものがひとつあったからで、そのたったひとつのことによって、自分の性質というものをすっかり見誤っていたらしい。


 noteの預かり金に期限ができたよと報せが来た。noteの預かり金、振込期限まであと一週間だよと、また報せが来た。
 そうしてやっと、重い腰をあげてnoteを開いてみる。
 諸々登録をすませて、あぁ、また書いてみようかなと思う。

 認めざるを得ないが飽き性らしい。すぐに飛び乗るしあっさりと降りる。そして二度同じものに乗るのはちょっと躊躇する。

 WordPressのサーバ更新時期がきた。動いていないTwitterにInstagramにフォロー通知がきた。
 手に余りすぎるのに、手放せない。ジャグリングしている人を尊敬する。


 でも、でもですよ、
 「なんとなくやめた」ことを理由に書くことそのものをやめてしまって、「なんとなく戻りづらい」ことを理由に書かないままでいると、やっぱり日常の濃密さが違う。
 仕事で文章を書くようになって、プライベートな発信に手が回らなくなってしまったような気がしていた。でも、仕事で文章を書けば書くほど同じだけ心もアウトプットしていないとバランスがとれなくなる。


 わたしはときどき、こういう選択間違いをしてしまう。
 有限なものを有用なものに振り分けようとして、却って涸らしてしまう。
 気づいた時には疲れることに疲れ切っていて、動けなくなる。
 せめて、自分の内側になにかを見出さないと。西日に焼けた小部屋にしておくわけにはいかないのだ。


 心を発露していないと。なにか動かしていないと。そんな焦燥感。

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