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極東ロシア ウラジオストク レポ その5 〜帰国とアフタートーク篇〜

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こんにちは こいヘルペスです!


前回に引き続き食中毒に苦しんだ話からなのですが
次の日の明け方には症状は落ち着いておりました。
(もう体から全ての水分が出切ってしまった為かと)


しかし全身の倦怠感はまだありますので死にそうな顔でホテルをチェックアウト。




お土産のマトリョーシカとアリョンカチョコ。(画像なし)

それと彼女にアクセサリーを購入。

キリル文字が彫られたバングル。おしゃん。

IKRA(イクラ)という名前のブティック。
内装も新しくスタイリッシュで雰囲気も凄い良かったです。
ロシア人デザイナーの方がいらしたので少しお話をしました。
この頃私はゴーシャラブチンスキーというブランドに嵌っていたので凄く楽しめました。



駅から空港へ

駅前広場のレーニンさん。国内至る所にいますね。
ハイエース以上 マイクロバス以下の乗り物


いよいよ市街地を出て空港まで向かいます。


駅前のロータリーから空港行きの黄色い小さなバスに乗りこみます。


ですが時間になっても出発しませんね。


おそらく人数がある程度揃ってからじゃないと出発しないっぽいです。

飛行機の時間は余裕があったのでまあ許します。


やっと出発!と思ったら



とんでもねえ運転。



すんごい飛ばす。



キレのあるハンドリング。



数分たって感じ始める。気分悪。



「あ、俺そういや病人なんだったわ。」



空港までとにかくシートでうずくまっておりました。




空港着

空港でチェックインの時間になるまでベンチで横になってました。

もう無理。しんどすぎる。

心の中の千代の富士が出ちゃった。

慣れない土地で体調不良になるとこんなにキツいんですね。

お土産見たりする暇もなく飛行機に乗りこみ仁川へ



仁川でもトランジットがあります。


その時間



なんと




10時間


ハヤクオウチカエリタイ


少し寝ます!



そのおかけか少しづつ体調も良くはなってきて



調子に乗って空港のバーガーキングのチーズワッパーセットみたいなやつ食って激しく後悔したのを覚えています。

胃は受け付けてくれなかった。


また寝ます。





その後朝の便で無事に福岡に帰りました。

無事に帰れてよかった。泣
(無事かどうかは分からんが)


その後日本の病院に行ってしっかり診てもらいました。


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ー今回の旅で収穫したものー



なんといってもソ連時代から残る共産主義の雰囲気を感じる事が出来たのが1番の収穫。
こんな経験滅多にできないしなー。
みんな暗くてあんまり好きな雰囲気じゃなかったけどね。ずっと曇ってたし。

あとカニとカキが美味かったなぁ


その後の北朝鮮レストランからは記憶を消すことにしていい旅だったと思う事にします。


行って楽しい!って事は水族館以外あんまり感じませんでしたね。多分もう少し勉強していったら楽しく感じれるんだろうなぁ。と思いました。

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なぜ数年経ってこの記事を書こうと思ったか



ウラジオストクに行ったのが2019年の6月

世界的にコロナが大流行したのが次の年の1月

ロシアとウクライナの戦争が始まったのがその次の年の2月

何が言いたいのかと言うと私がこの時に行かなければ数年はロシアに「行きたくても行けなかった」という事になります。
これはロシアだけの話に限らず、
できるだけ若いうちに

「行きたい場所」  

に行く。



「やりたい事」

をする。

「会いたい人」

に会う。


これを先延ばしにすると後悔してしまう。

という事を伝えたいんです。

もちろん金銭的・身体的理由でしたくても出来ないという意見もある思います。

よく考えてみると。

私たち多くの日本人。

教育を受け、職があり、正当に賃金も貰い、家族がいる。安全な環境。
という当たり前。

それは当たり前ではありません。


充分に恵まれた環境だと思います。

世界にはそれすら当たり前では無い人達も大勢います。


ですがその「当たり前」すらない環境の中でも成功して夢を叶えている人達も大勢います。


つまり私たちはその環境を言い訳には出来ません。


「怠惰」に過ぎないのです。


解決するための努力は自分のペースでも良いので続けていくべきだと思いました。

例え周りに変わり者だと言われても


行動力は大切です。




死ぬ時に後悔のないように生きたいなと思います。



長々とありがとうございました。

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