サトルの引越し
サトルが下宿先から引っ越すことを聞いた。
どうやら転職先が関西で、家電ももうほとんど使うことが出来ないらしい。引越しの際に色々ゴミが出るので、もし良ければこの部屋で何度も遊んだみんなに引き取っていって欲しいとの事。
サトルは高校卒業後今の下宿先に引っ越した。大学生の一人暮らしである。
大学生の一人暮らしでみんなの学校から程よく近いのもあって、サトルの部屋が僕たちのたまり場になってしまうのは時間の問題だった。週末は安い缶チューハイと半額の惣菜を持って、多い時には10人ほどの若者が彼の部屋を訪れる。決して広い部屋ではなかったが、ハタチになりたての僕たちにはお酒と友人がいるだけで充分だった。
酒と人工甘味料臭い青春の思い出に浸っていると、ものを貰うだけなんて考えられなかった。ジャージに身を包み、ガムテープと軍手を持った僕たちは、あのころのメンバーでサトルの部屋を訪れた。インターホンを押すと、あの頃のままの玄関から、あの頃のままのサトルがドアを開けてくれた。
サトルは僕たちの格好を一目見ると嬉しそうに笑い、僕たちの持ってきた軍手に手を通す。
数時間後、かつて僕たちが人生の拠り所として集まっていたサトルの部屋は、ダンボールがいくつか積まれた古びたアパートの一室へと変わっていた。
皆は各々の思い出を手に取った。背伸びして買ったけど使わないまま周波数にはばまれたオーブンレンジ、次の家はガスだから使えなくなったIH専用フライパン。やや使用感はあるが、この擦り傷、この凹みが僕たちには思い出の勲章でしかない。僕は何にしようか、と迷っているとサトルが声をかけてきた。
「やっぱお前にはこれでしょ!」
ドン、と壁を叩くサトル。
壁?
「隣の部屋が壁ドンしてきた時お前がやり返してくれた壁!これしかないっしょ!」
そんな若気の至りを言わないでくれよ、という気持ち、だけでは無い。壁?マジで?賃貸だろ?
「あんま遠慮すんなって!」
ああ、ああ、サトルの笑顔。この笑顔にみんな何も言えなくなることをようやく思い出した。僕は、僕は……
……あの引越しをきっかけに、僕ら仲良しグループのグループLINEが作り直された。サトルは関西でも元気にやっているらしい。僕らはみな、あの時貰ったものを使う度になんとなく報告している。
しかし、壁が増えただけの僕は何も書き込めなかった。8畳のワンルームが4畳4畳になったけども、それだけだ。
なんとなく、壁に手を伸ばす。
サク
思いのほか柔らかく壁に指が入る。手のひらほどのサイズにもぎ取った壁を、また何となく口へ運んだ。スマートフォンを手に取る。
“なんか、チョコウエハースの味がするんやね”
送信。